◆ What Have You Done For Me Lately ジャネット・ジャクソン Janet初めてのR&B No1シングル 伝説の始まり [Janet Jackson]
original 2008.5.31Upに加筆
ジャム&ルイスの2曲目のNo1シングルは1986年3月、R&Bチャートでのジャネット・ジャクソンの「What Have You Done For Me Lately」です。アイドル的な存在だったジャネットをアーティストへと、そしてスーパースターへと導いたアルバム『コントロール』からの先行シングルが、見事にR&Bの1位になります。POPチャートでも4位となるビックヒットです。この後、ジャネットとジャム&ルイスのトライアングルは2006年の「Call On Me」までNo1ヒットを連発する事になるのですが、この時、この後のジャネットのスーパースター化をどれだけの人が予測したでしょうか。
ジャネットは、1966年5月16日生。ジャクソン兄弟姉妹は、男6人で女が3人。ジャネットが一番下の末っ子。長男ジャッキーが1951年生まれだから15歳ちがう。マイケルとも8歳違い。ジャネットのショウビズ界のデビューは1974年(8歳)。ラスベガスのファミリーショーで次女、ラトーヤとともに出演したそう。
父・ジョーは見事にジャクソン兄弟を成功させましたが、同様にジャクソン姉妹も売り出そうとマネージメントに注力します。そして、ジャネットはA&Mレコードと契約。16歳の時にデビューとなります。
レコード会社も当時のR&Bのヒットメイカーを起用します。人気男女R&Bデュオ・ライターの、レネ&アンジェラが制作した軽快なDanceチューン「Young Love」はR&B-6位。HOT100-64位とR&BとPOPでスマッシュヒットをし、16歳のジャネットは自信がついたと。(後にレネ・ムーアは兄・マイケルの「This Time Around」『History』収録 にも参加)
続いて1984年の2nd『Dream Street』では、ジョルジオ・モロダーやプリンス一派のタイムのメンバー、ジェシー・ジョンソン、兄のマーロンも参加。1stではあえて遠ざけていたファミリーも今作では参加します。ジェシー・ジョンソンの参加は意外ですが、これはジェシー自らジャネットのために書いた曲をA&Mのディレクターのジョン・マックレインに持参し採用されたという経緯。もともとタイムの面々とは、ジャネットが1stアルバムのプロモーションでシカゴを訪れた時に、ライブに招かれて接点をもったそう。これが同様にタイムのメンバーであったジミー・ジャム&テリー・ルイスとのつながりにもつながったようにも思います。『コントロール』を聞いた後で、それより前のアルバムを聞くと、物足りなさは感じます。ただボーカルのスタイルは出来上がっています。
こうしてジャネットは『コントロール』の前までも2枚のアルバムを発表しておりスマッシュヒットもしていましたが、作られた曲を歌い、レコード会社やマネージャーでもある父・ジョーが売り出すアイドル的な路線にのっかっているだけの感じでした。
彼女は、ジャクソン・ファミリーの末っ娘として、家族の愛情を一身にうけて育っていきました。スーパースターの兄たちの栄光を誇りに思う反面、ジャクソンという呪縛にもとらわれていたように思います。若い頃、誰もが思うことだと思いますが、自分はジャクソンの1人ではなく、ジャネット・ジャクソンだという自我もそうとう強く目覚めたのではないかと思います。それが20歳前の、家族の反対をおしきってのかけおち、結婚。そして離婚。そして再出発。そんな時期に制作されたアルバムが3枚目の『Control』だったのです。
ジャム&ルイスの2曲目のNo1シングルは1986年3月、R&Bチャートでのジャネット・ジャクソンの「What Have You Done For Me Lately」です。アイドル的な存在だったジャネットをアーティストへと、そしてスーパースターへと導いたアルバム『コントロール』からの先行シングルが、見事にR&Bの1位になります。POPチャートでも4位となるビックヒットです。この後、ジャネットとジャム&ルイスのトライアングルは2006年の「Call On Me」までNo1ヒットを連発する事になるのですが、この時、この後のジャネットのスーパースター化をどれだけの人が予測したでしょうか。
ジャネットは、1966年5月16日生。ジャクソン兄弟姉妹は、男6人で女が3人。ジャネットが一番下の末っ子。長男ジャッキーが1951年生まれだから15歳ちがう。マイケルとも8歳違い。ジャネットのショウビズ界のデビューは1974年(8歳)。ラスベガスのファミリーショーで次女、ラトーヤとともに出演したそう。
父・ジョーは見事にジャクソン兄弟を成功させましたが、同様にジャクソン姉妹も売り出そうとマネージメントに注力します。そして、ジャネットはA&Mレコードと契約。16歳の時にデビューとなります。
レコード会社も当時のR&Bのヒットメイカーを起用します。人気男女R&Bデュオ・ライターの、レネ&アンジェラが制作した軽快なDanceチューン「Young Love」はR&B-6位。HOT100-64位とR&BとPOPでスマッシュヒットをし、16歳のジャネットは自信がついたと。(後にレネ・ムーアは兄・マイケルの「This Time Around」『History』収録 にも参加)
続いて1984年の2nd『Dream Street』では、ジョルジオ・モロダーやプリンス一派のタイムのメンバー、ジェシー・ジョンソン、兄のマーロンも参加。1stではあえて遠ざけていたファミリーも今作では参加します。ジェシー・ジョンソンの参加は意外ですが、これはジェシー自らジャネットのために書いた曲をA&Mのディレクターのジョン・マックレインに持参し採用されたという経緯。もともとタイムの面々とは、ジャネットが1stアルバムのプロモーションでシカゴを訪れた時に、ライブに招かれて接点をもったそう。これが同様にタイムのメンバーであったジミー・ジャム&テリー・ルイスとのつながりにもつながったようにも思います。『コントロール』を聞いた後で、それより前のアルバムを聞くと、物足りなさは感じます。ただボーカルのスタイルは出来上がっています。
こうしてジャネットは『コントロール』の前までも2枚のアルバムを発表しておりスマッシュヒットもしていましたが、作られた曲を歌い、レコード会社やマネージャーでもある父・ジョーが売り出すアイドル的な路線にのっかっているだけの感じでした。
彼女は、ジャクソン・ファミリーの末っ娘として、家族の愛情を一身にうけて育っていきました。スーパースターの兄たちの栄光を誇りに思う反面、ジャクソンという呪縛にもとらわれていたように思います。若い頃、誰もが思うことだと思いますが、自分はジャクソンの1人ではなく、ジャネット・ジャクソンだという自我もそうとう強く目覚めたのではないかと思います。それが20歳前の、家族の反対をおしきってのかけおち、結婚。そして離婚。そして再出発。そんな時期に制作されたアルバムが3枚目の『Control』だったのです。
彼女には兄マイケルにも劣らない才能とマイケルのようなスターになりたいという野心さえもありました。そんなジャネットの才能を引き出したのが、ジミーとテリーだったのです。ジョーは、自分の監視下にあるLAでのレコーディングを希望していました。さらに当時は色モノ感も強かったプリンス一派のジャム&ルイスに娘を委ねるのも難色を示していたようです。たしかに、プリンスのSOUNDとこれまでのジャネットのスタイルに接点はかんじない。ミスマッチのような組合わせです。しかし、いつもとてつもない成功というのはこのミスマッチと思われるものから生まれる。ジミーとテリーは、あえてジャネットを父親から切り離し、ミネアポリスに招いてレコーディングする事を選んだのだと思う。
1985年、ジャネットはミネアポリスへ向かいます。けっしてHappyな気持ちで乗り込んだわけではなかったと思います。ジャネットは、前年、18歳にして、ジャクソンズと同じく音楽ファミリー(10人兄弟姉妹)で有名なデバージ家(一番人気はエル・デバージ)の6男、ジェームズ・デバージと結婚します。かなりの電撃結婚だったようです。
ジャネットも小さい頃からショウビズ界に入り、そんなに恋愛を経験する時間もなかったと思うので、出会ったジェームズとすぐに恋に落ちしてしまったのもしれない。この結婚は家族はまったく知らされておらず、当時、ビクトリーツアー真っ只中の、マイケルたちブラザーもマスコミの報道で知ったそう。
結婚当初から、ジェームズに問題ありというのはファミリー全員わかっていたようです。彼はドラック中毒だったのです。しかしジェームズを心の底から愛していたジャネットは、彼を更正させようと必死に頑張ったそうですが、ジャネット自身、心神も衰弱し倒れるような状況になり、周囲にも説得させられ半年で離婚という形になります。そんな傷心の彼女が、奮起して音楽活動を開始、その悲しみをぬぐい去るべく3枚目のアルバム製作のプロジェクトが動き出し、ミネアポリスに向かうことになるのです。
既に2枚のアルバムを発表するも、大きな結果は残せず。レコード会社も、いわゆるヒットメイカーを集め、お金もかけて制作されているにもかかわらず思ったようなヒットが出ない。この3rdアルバムが失敗したら、ジャネットのアーティストとしての道も断たれるような状況だったと思います。
ジャネットの3枚目のアルバムにジャム&ルイスの起用を決めたのは、当時A&Mレコードの役員でもあったジョン・マックレイン。(彼は現在マイケル・ジャクソンの遺言執行者の一人、『XSCAPE』にも参加)。ジョンは、当初のPOP/DANCE路線から、R&B路線にシフトします。そんな中で選ばれたのが、シェリル・リン、TABUレコードでのSOSバンド、アレクサンダー・オニール、シェレールで赤丸上昇中のジャム&ルイスだったのです。
ジャム&ルイスとジャネットは出会うことになります。この時、ジミーは27歳(1959年生)、テリーは30歳(1956年生)。すでに彼らはR&Bで、SOSバンドや、シェリル・リン等でヒットを生み出していました。シンセサイザー、サンプリング機器、ドラムマシーンを抜群のセンスで駆使するそのスタイルは他の追随をゆるしませんでした。ジャム&ルイスも自分たちの可能性も信じていた。当時、20歳前のジャネットにとっては年上のお兄さん的な2人だったのでしょうか。
そんな中、ミネアポリスに入ったジャネット。最初の1週間、彼らは音楽的な話はせず、ミネアポリスの美しい自然と街並み、きれいな空気に触れて過ごしたといいます。フライトタイムレコードのすばらしい人柄の人たちともふれあいジャネットの心もほぐれていったに違いない。
そして、ジミーたちは音楽的な話に入ったといいます。いくつかの案をジャネットの示したそうですが、今の自分の心情をアルバムにするというコンセプトにジャネットが共鳴します。ジャム&ルイスは、曲作りから楽器の演奏まで、ジャネットにアルバム制作に大きく関わる事も求めます。ジャネットも用意された曲にボーカルを吹き込むだけのスタイルにうんざりしており、ジミーたちの提案は願ったりだったのです。そしてこのアルバムにそなえ、兄・マイケルにロバとまで言われた(爆)体も絞り、ボイストレーニングも行います。
そして当時のありのままのジャネットを表現した私小説的なアルバム『コントロール』が完成します。そして、アルバム成功の鍵となる先行シングルがこの「What Have Done For Me lately」、日本語訳が「恋するティーンエイジャー」わからなくもないですが、昔はこういうアレンジしたタイトルのつけ方多かったですよね。サウンド的には、ジャム&ルイスのミネアポリス・ファンクとよばれるスタイルが凝縮されているように思います。COOLでタイトなDrum。『コントロール』のドラム/ビートは、プリンスも愛用したリンドラムで制作されているようです。
1985年、ホイットニー・ヒューストンという世紀のディーヴァが登場します。ホイットニーは「Saving All My Love For You」(邦題・すべてをあなたに)という男性に尽くすようなリリックの大人のLove Songや「You Give Good Love」(邦題・そよ風の贈りもの)というような感じの曲を歌っていますが、ジャネットのこの曲は、つきあっている彼に対し、「最近、あなたは私に何かしてくれた?」と冷めた関係を歌い、男性に寄り添うような歌ではないのですよね。
Wikiによるともともとこの曲は、当時計画されていたジャム&ルイスのリーダー作の収録候補曲だったようなのですが、ジャネットも気に入り、急遽リリックを書き換えアルバム制作終盤に収録された楽曲のようです。
この後『コントロール』からは6枚のヒットシングルが生み出され、どの曲も相当のクオリティーですが、Newジャネットのイメージを決める最初のシングルは重要だったと思います。2ndシングルの「Nasty」はかなりハードで、これまでのジャネットのイメージと違いすぎる。3rdシングルのNo1シングルにもなる「When I Think Of You」は、これまでのジャネットのイメージに一番近い楽曲ですが、新鮮さはない。この曲を1stシングルにしていたら、ヒットはするもPOPでNo1にはなっていなかったかもしれない。やはりCoolで切れ味鋭いビートの「What Have You ---」が一番バランスがよく1stシングルに最適だったように思います。
Music Videoも制作され、ジャネットもDanceを披露します。
カフェを舞台にした定番のスタイルっぽいMVです。振付はこの後、アーティストとしても大ブレイクするポーラ・アブドゥルです。『コントロール』のDanceの振付のほとんどは彼女のようです。このMVもヒットの要因としてあったと思います。まだ洗練されていない感じですが、Danceと楽曲の融合はマイケル譲りです。そしてマイケルと同じく、この後、ジャネットの楽曲とMusic Videoも切り離せなくなります。
楽曲的にも、「What Have You 」はグラミーで最優秀R&Bソングにノミネートされる。ジミー・ジャムのCoolなシンセソロもいかす。終盤のジミーのJazzyなピアノソロは、元々録音を想定していたものではなかったようなのですが、アドリブで弾いていたのをエンジニアのスティーブ・ホッジが録っていて収録したそうです。これまたク~ル。
『コントロール』補完というExtended、Remixを取り上げた過去記事がありますが、『コントロール』はアルバムだけでなくRemixもおさえる事でより楽しむ事ができます。
この曲のExtendedは7:00です。インスト主体のDUBバージョンは、Performed by Jam&Lewisって感じでかっこいい。まさにこの曲でほんとつかみはO.Kって感じです。NEWジャネットのスタイルがシーンに受け入れられます。私も、当時ベストヒットUSAでリアルタイムにこのMVをみましたが「ジャネット、いいじゃん」って思いました。
『コントロール』が発表される前年の85年、ジャム&ルイスによるNo1ヒットはありませんでしたが、『コントロール』の布石となるような作品を作り出しています。Tabuレーベルの専属プロデューサーのようになっていた彼らは、SOSバンドの他にかつての同僚アレクサンダー・オニールのデビューアルバム、そしてシェレールの2nd『High Priority』を仕上げます。この作品は、『コントロール』とサウンドがかなり似ています。
ジャネットがティーンエイジャーならシェレールはOLって感じでしょうか。シェレールの方はより大人のサウンドになっているのと歌唱力はシェレールの方に分がある感じです。同じエフェクト音もあちこちで見られます。ただ『コントロール』の方があきらかに楽曲がキャッチーで、いい。これはライターとしてのジャネットの力もあると思います。この2作品を聞き比べるのも面白いと思います。(また紹介します)
1985年の終盤からジャム&ルイス旋風はR&BだけでなくUSA音楽シーン全体で吹き荒れます。まず12月、ブラックムービー『クラッシュ・グルーブ』に提供されたフォースMD’Sの「Tender Love」がリリース、この超Sweetバラードはじわじわチャートを上昇し、86年4月にHot100で10位(R&Bでは4位)に入ります。これはジャム&ルイスにとって初めてのPOPチャートでのTop10入りとなります。(Force MD'sの2ndアルバムにも収録)
すばらしいバラードです。ヒューマンチックでせつないメロディーライン。実はこの曲が私とジャム&ルイスとの出会いの曲となりました。(ジャム&ルイス産というのは後で知るのですが)1986年に入り、1月、『High Priority』からはアレックスとシェレールのデュオ「Saturday Love」(生で聞けたのはほんと感動です)がR&Bで2位を記録。
そして3月、ジャネットの「What Have You Done For Me Lately」がR&Bで1位を獲得するのです。しかしこのトライアングルの伝説は始まったばかりという事に気づいている人は少なかったと思います。『コントロール』から次々とシングルヒットが生まれていくのです。
そんな中、ミネアポリスに入ったジャネット。最初の1週間、彼らは音楽的な話はせず、ミネアポリスの美しい自然と街並み、きれいな空気に触れて過ごしたといいます。フライトタイムレコードのすばらしい人柄の人たちともふれあいジャネットの心もほぐれていったに違いない。
そして、ジミーたちは音楽的な話に入ったといいます。いくつかの案をジャネットの示したそうですが、今の自分の心情をアルバムにするというコンセプトにジャネットが共鳴します。ジャム&ルイスは、曲作りから楽器の演奏まで、ジャネットにアルバム制作に大きく関わる事も求めます。ジャネットも用意された曲にボーカルを吹き込むだけのスタイルにうんざりしており、ジミーたちの提案は願ったりだったのです。そしてこのアルバムにそなえ、兄・マイケルにロバとまで言われた(爆)体も絞り、ボイストレーニングも行います。
そして当時のありのままのジャネットを表現した私小説的なアルバム『コントロール』が完成します。そして、アルバム成功の鍵となる先行シングルがこの「What Have Done For Me lately」、日本語訳が「恋するティーンエイジャー」わからなくもないですが、昔はこういうアレンジしたタイトルのつけ方多かったですよね。サウンド的には、ジャム&ルイスのミネアポリス・ファンクとよばれるスタイルが凝縮されているように思います。COOLでタイトなDrum。『コントロール』のドラム/ビートは、プリンスも愛用したリンドラムで制作されているようです。
1985年、ホイットニー・ヒューストンという世紀のディーヴァが登場します。ホイットニーは「Saving All My Love For You」(邦題・すべてをあなたに)という男性に尽くすようなリリックの大人のLove Songや「You Give Good Love」(邦題・そよ風の贈りもの)というような感じの曲を歌っていますが、ジャネットのこの曲は、つきあっている彼に対し、「最近、あなたは私に何かしてくれた?」と冷めた関係を歌い、男性に寄り添うような歌ではないのですよね。
Wikiによるともともとこの曲は、当時計画されていたジャム&ルイスのリーダー作の収録候補曲だったようなのですが、ジャネットも気に入り、急遽リリックを書き換えアルバム制作終盤に収録された楽曲のようです。
この後『コントロール』からは6枚のヒットシングルが生み出され、どの曲も相当のクオリティーですが、Newジャネットのイメージを決める最初のシングルは重要だったと思います。2ndシングルの「Nasty」はかなりハードで、これまでのジャネットのイメージと違いすぎる。3rdシングルのNo1シングルにもなる「When I Think Of You」は、これまでのジャネットのイメージに一番近い楽曲ですが、新鮮さはない。この曲を1stシングルにしていたら、ヒットはするもPOPでNo1にはなっていなかったかもしれない。やはりCoolで切れ味鋭いビートの「What Have You ---」が一番バランスがよく1stシングルに最適だったように思います。
Music Videoも制作され、ジャネットもDanceを披露します。
カフェを舞台にした定番のスタイルっぽいMVです。振付はこの後、アーティストとしても大ブレイクするポーラ・アブドゥルです。『コントロール』のDanceの振付のほとんどは彼女のようです。このMVもヒットの要因としてあったと思います。まだ洗練されていない感じですが、Danceと楽曲の融合はマイケル譲りです。そしてマイケルと同じく、この後、ジャネットの楽曲とMusic Videoも切り離せなくなります。
楽曲的にも、「What Have You 」はグラミーで最優秀R&Bソングにノミネートされる。ジミー・ジャムのCoolなシンセソロもいかす。終盤のジミーのJazzyなピアノソロは、元々録音を想定していたものではなかったようなのですが、アドリブで弾いていたのをエンジニアのスティーブ・ホッジが録っていて収録したそうです。これまたク~ル。
『コントロール』補完というExtended、Remixを取り上げた過去記事がありますが、『コントロール』はアルバムだけでなくRemixもおさえる事でより楽しむ事ができます。
この曲のExtendedは7:00です。インスト主体のDUBバージョンは、Performed by Jam&Lewisって感じでかっこいい。まさにこの曲でほんとつかみはO.Kって感じです。NEWジャネットのスタイルがシーンに受け入れられます。私も、当時ベストヒットUSAでリアルタイムにこのMVをみましたが「ジャネット、いいじゃん」って思いました。
『コントロール』が発表される前年の85年、ジャム&ルイスによるNo1ヒットはありませんでしたが、『コントロール』の布石となるような作品を作り出しています。Tabuレーベルの専属プロデューサーのようになっていた彼らは、SOSバンドの他にかつての同僚アレクサンダー・オニールのデビューアルバム、そしてシェレールの2nd『High Priority』を仕上げます。この作品は、『コントロール』とサウンドがかなり似ています。
ジャネットがティーンエイジャーならシェレールはOLって感じでしょうか。シェレールの方はより大人のサウンドになっているのと歌唱力はシェレールの方に分がある感じです。同じエフェクト音もあちこちで見られます。ただ『コントロール』の方があきらかに楽曲がキャッチーで、いい。これはライターとしてのジャネットの力もあると思います。この2作品を聞き比べるのも面白いと思います。(また紹介します)
1985年の終盤からジャム&ルイス旋風はR&BだけでなくUSA音楽シーン全体で吹き荒れます。まず12月、ブラックムービー『クラッシュ・グルーブ』に提供されたフォースMD’Sの「Tender Love」がリリース、この超Sweetバラードはじわじわチャートを上昇し、86年4月にHot100で10位(R&Bでは4位)に入ります。これはジャム&ルイスにとって初めてのPOPチャートでのTop10入りとなります。(Force MD'sの2ndアルバムにも収録)
すばらしいバラードです。ヒューマンチックでせつないメロディーライン。実はこの曲が私とジャム&ルイスとの出会いの曲となりました。(ジャム&ルイス産というのは後で知るのですが)1986年に入り、1月、『High Priority』からはアレックスとシェレールのデュオ「Saturday Love」(生で聞けたのはほんと感動です)がR&Bで2位を記録。
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