◆ ジャネット・ジャクソン ドキュメンタリー番組はまさにジャネットの物語 初情報ももりだくさん マイケルファンも必見 [Janet Jackson]
一昨年の2022年CSのヒストリーチャネルで先行放送されていましたが、現在、Amazon Primeで視聴ができます。ジャネットは2011年に『True You』という初めての自伝を発表していますが(所有してるけど英語なので読めてない・・・)、今回のドキュメント番組はその自伝本よりストレートで、ある意味生々しいものになっている気がする。何より映像で、ジャネット自身が語っているのでわかりやすい。
関係者のコメントも多角的に入っているし、とてもよくできたドキュメンタリー作品だと思います。米国でもドキュメンタリー部門で視聴率の1位を獲得したそう。末弟のランディも参加しているのも大きい。ジャクソン家の6男のランディは1961年生まれ。(マイケルの3歳下の弟でジャネットの5歳上の兄)独白の部分もあるけど、リラックスした兄妹の会話からよりストレートに出来事を感じる事ができる。
このジャネットの内面を掘り下げたドキュメント番組は、2017年から制作が開始され、完成まで5年の歳月を要した。自分自身で偽りのないドキュメンタリーを作りたかったと。エピソード2で登場してくる2人目の夫、レネ・エリゾンドが10年近くに渡って撮影していたプライベート映像の記録もこの作品に寄与した感じ。(当初、レネとの会話で「ぜったい表に出さないから。これは僕たちでしか見ないものだから」って言われて撮ってた感じだけど・・・)
4部構成のジャネットのドキュメンタリー番組ですが、最初の頃は伝説の兄達ジャクソンファイブのサクセスストーリーが描かれていて、ジャネットが主役と言うよりジャクソンファミリーの物語のようです。彼女のエンタメ業界との関わりは兄やマイケルとの関係性なしでは描けないでしょうから。
私は、1986年『Control』からリアルタイムにジャネットを追っている人間の一人です。ジャネットに入っていったのは、彼女の自立を手助けしアーティストへと開花させたプロデューサーのジャム&ルイスがきっかけでした。ですのでジャム&ルイス視点でも彼女を見ていました。さらにBlogも作っているほどマイケル・ジャクソンやジャクソン兄弟に関してもかなりの知識と情報が頭の中に入っている一人です。そういう人間の視点から見ても、このジャネットのドキュメンタリーはかなりの見ごたえがありましたし、これまで謎とされていた部分も明らかになったり、マイケル絡みでも驚くべき情報も新たに知ったりしました。
この3月にジャネットが来日公演をしますが、ジャネットファンは、ライブ前にこの作品を見ることでより彼女を深く感じる事ができると思います。そして、マイケルファンも見るべき作品です。これから見られる方もいると思いますので、メインの部分のネタバレはしないよう感想を記したいと思います。4つのエピソードから構成されていますが、該当する年代も自分で入れてみました。あと、音楽的な流れもわかるかと思い Discography的にその頃のアルバムや関連作品も紹介してみます。
True You: A Journey to Finding and Loving Yourself (English Edition)
- 出版社/メーカー: Gallery Books/Karen Hunter Publishing
- 発売日: 2011/02/15
- メディア: Kindle版
関係者のコメントも多角的に入っているし、とてもよくできたドキュメンタリー作品だと思います。米国でもドキュメンタリー部門で視聴率の1位を獲得したそう。末弟のランディも参加しているのも大きい。ジャクソン家の6男のランディは1961年生まれ。(マイケルの3歳下の弟でジャネットの5歳上の兄)独白の部分もあるけど、リラックスした兄妹の会話からよりストレートに出来事を感じる事ができる。
このジャネットの内面を掘り下げたドキュメント番組は、2017年から制作が開始され、完成まで5年の歳月を要した。自分自身で偽りのないドキュメンタリーを作りたかったと。エピソード2で登場してくる2人目の夫、レネ・エリゾンドが10年近くに渡って撮影していたプライベート映像の記録もこの作品に寄与した感じ。(当初、レネとの会話で「ぜったい表に出さないから。これは僕たちでしか見ないものだから」って言われて撮ってた感じだけど・・・)
私は、1986年『Control』からリアルタイムにジャネットを追っている人間の一人です。ジャネットに入っていったのは、彼女の自立を手助けしアーティストへと開花させたプロデューサーのジャム&ルイスがきっかけでした。ですのでジャム&ルイス視点でも彼女を見ていました。さらにBlogも作っているほどマイケル・ジャクソンやジャクソン兄弟に関してもかなりの知識と情報が頭の中に入っている一人です。そういう人間の視点から見ても、このジャネットのドキュメンタリーはかなりの見ごたえがありましたし、これまで謎とされていた部分も明らかになったり、マイケル絡みでも驚くべき情報も新たに知ったりしました。
この3月にジャネットが来日公演をしますが、ジャネットファンは、ライブ前にこの作品を見ることでより彼女を深く感じる事ができると思います。そして、マイケルファンも見るべき作品です。これから見られる方もいると思いますので、メインの部分のネタバレはしないよう感想を記したいと思います。4つのエピソードから構成されていますが、該当する年代も自分で入れてみました。あと、音楽的な流れもわかるかと思い Discography的にその頃のアルバムや関連作品も紹介してみます。
エピソード1 ドリームストリート 1966年(0歳) ~ 1985年(19歳)
Epi1は、ジャネットとランディが自分たちのルーツであるインディアナ州ゲーリーのジャクソン家の2300 Jackson Streetを訪れるシーンから始まる 。ほんとかなり久々の来訪みたいで、通りの途中のビルの壁にジャクソンファイブの5人のイラストを見つけて感動の涙を流すジャネットにまずグッときた。
ジャクソンストリートというのは、今や生ける伝説の彼らが住んでいたという事での後付けではなく、たまたまそういう名前の所に住んでいたという。この生家のストリートをテーマにした楽曲もジャクソンズのアルバムタイトルにもなっているし、マイケルもボーカル参加したシングル曲にもなっている。
男6人、女3人の9人兄弟姉妹。それに父・ジョゼフ(ジョー)と、母・キャサリンの11人で暮らしていたという。父親は、製鉄所勤務のブルーワーカー、母親は百貨店勤務。当時は、バリバリに人種差別があった時代で、白人と黒人の世界が明確に分かれていたという。さらにゲーリーは全米でも有数な治安の悪いところであったらしく、父親は厳しく規律を重んじていたけど、それは自分たちの命を(ガチで)守るためでもあったという言葉をランディも口にしている。メディアは、父親のジョーのことを児童虐待という表現まで使って非難することがあったけど、厳しくはあったけど、父親がしてきたことを理解し感謝していた。
こんな小さい家で両親の寝室とリビングの2部屋しかなかったみたい。そこで11人で生活するってすごいよな。生活保護の受給も考えたという位だそうなんですが、実際ほんとうにそこまでの極貧だったのかよくわからない。そんな状況でプロにすべく子供たちに楽器を与え、音楽活動ができたんだろうか?っていうのがけっこうおれ的には不思議。さらにジャクソンファミリーって品があるし。母・キャサリンの自伝の中で、「ジャクソン・ファミリーの人間が今でもこんなに仲の良い理由の一つは小さな家にひしめきあって住んでいたから」と三男で家族リーダー的な存在、ジャーメインは述べている。
キャサリンは熱心なエホバの証人の信者だったし、一時期、マイケルもそうだった。この番組でジャネットの口からエホバの証人に関しての話はでなかったけど、キャサリンは、ジャネットがセクシャルな事をすることには快く思っていなかったと書籍にはちょこちょこ書いてある。
ジャネットは1966年5月16日生。ジャクソンファミリーがセレブなロサンゼルスに引っ越ししてから生まれたと思っていましたが、5歳くらいまではジャネットもゲーリーにいたんですね。ジャネットはこの家の記憶はほとんどない様子だった。長姉のレビーは、かわいげがなかったであろう自己主張の強そうな二女・ラトーヤとちがい、妹って感じのジャネットをすごくかわいがった感じ。でもジャネットもそれなりに自己主張は強い(笑)。レビーは、母キャサリンを相当助けてきたんじゃないかなとも思った。
ここでジャクソンファイブ誕生の伝説のエピソードも明確に語られる。父親の大切なギターを許可なくPlayしていた二男ティトが弦を切ってしまったという出来事はやはりそうみたい。ただギターをそのまま元の場所に戻し、それを見つけてジョーが怒り狂ったとかではなく、激高しそうなジョーに対して、キャサリンが「怒る前に息子達の演奏を聞いて」と諭したというのがここで語られていた。でもジョーも、うすうす子どもたちが音楽的なものに興味を持っているのは感じていたのではないのかなって思った。
こうしてジャクソン兄弟はプロになるべく練習に明けくれる。隣家からは、文句を言われながらも。こうして地元の音楽コンテストで優勝していき、ベリー・ゴーディー率いる当時黒人最強レーベルのモータウンの目にとまり契約を勝ち取るわけです。そして、ベリー・ゴーディーの言葉通りデビューから4曲連続のNo1シングルを生み出すという離れ業を成し遂げるのです。
後に、インタビューで、ジョーは「この成功は予見していた」と言いきっていた所がすごい。ただ持っている才能を最大限に発揮すべくそれだけの練習をしたという自負もあった。TV番組のインタビューで、マイケルを含めた子どもたちを前に、マイケルはリードボーカルなのにねぼすけだって。罰としてとしてお小遣い減らしてるという話をしながら少年マイケルと握手をするジョー。そこには愛が溢れている。
1971年、ジャクソンファミリーはロサンゼルスに引っ越す。モータウンも本社がデトロイトからLAに移転していた。ここからセレブチックな生活になっていったと思う。当時の隣人の証言によると、このセレブ地区に引っ越してきた初めての黒人ではって。けっこう驚きのエピソードで、あのデヴィッド・ボウイもジャクソンズ邸に遊びに来たらしく、その時のエピソードもおもしろかった。ここでは触れられていなかったけど、ダイアナ・ロスの家も近くだったみたいで、マイケルやマーロンは、ダイアナの豪邸に行って礼節や作法、業界で成功するための術も彼女から教えられている。
そんな華やかな生活の一方で、当時はふつうに差別を受けたと悲しげに語るジャネット。学校は白人のお金持ちの子供ばかりで、ジャネットたちが学校に来ないよう嘆願書も出されたり、ふつうに黒人としての差別を受けていたと。
そして、この辺りからジャネットのエンタメ業界話になっていく。ジャネットはラスベガスのファミリーショーに7歳でデビュー。ぜったい的な父親の命令で嫌々出た感じだけど、多彩な彼女は見事にその舞台をこなす。そして、彼女は、ミュージカルやTVドラマでまずその才能を開花させていく。ジャネットは、年の近いマイケル、ランディとよく遊んだ感じ。そして兄たちの音楽活動に刺激をうけちょっとした作曲なんかもしたみたい。あるとき、ジャネットが作った曲を聞いて、ジョーは「歌手になれ」と。でジャネットも「喜んで」というかと思ったら、大学でビジネスを学びたかったみたいで、これまたジョーの命令にさからうわけにはいかず、自分の意志に反して歌手の道に進んだ感じ。そしてA&Mレコードと契約しデビュー。すべてジョーの管理下の中でジャネットは言われたとおりに歌うだけだったと。何一つ口出しができなかった。
そして最初の注目箇所、ジェームズ・デバージとの極秘結婚エピソードについて、彼女の口から語られる。業界の事もわかっている音楽一家のデバージファミリーとは、付き合いやすかったのだと思うし、基本、ジャネットに一般的な出会いなんかもなかったと思われる。恋に落ちるけど、父親の束縛から抜け出す要素も大いにあった感じ。そしてジェームズ自身も登場したのは驚いた。彼女の結婚は、ブラザー達もビクトリーツアーの真っ只中で知ったとあったけど、家族の中で唯一、ラトーヤは知っていて後押ししてくれたという話も意外だった。(今回の証言者に、ラトーヤは一切出てない(笑))
エピソード2 コントロール 1986年(20歳)~ 1990年(24歳)
Epi2から本格的にジャネットの物語に突入していきます。この期間は4年位ですが、ジャネットが成功をつかみ一気にトップにかけあがった濃厚の時期だと思います。まず家族にも秘密裏にすすめたジェームズ・デバージとの結婚。彼女の口からも父親からの管理体制から逃れる方法はこれしかなかったと。
愛し合った2人だったけど、お互い若く未熟だったとジャネット自身も振り返っている。何よりも彼が薬物中毒だった事がこの結婚生活を妨げた。姉のラトーヤや母親の書籍を見ると、ジャネットは身も心もボロボロになったような事が記してある。そして、ずっとマスコミに言われ続けていたジェームズとの隠し子の事にもふれられる。当時、ジャネットがポッチャリしてたこともこの疑惑を増幅させた。私も、あるかもと思っていた所もある。そして、彼女の口からこの事について明確に答えが語られます。
そしてプロデューサーのジミー・ジャムとテリー・ルイスの登場です。ジャネットの物語を語るのに彼らをぬきにして語ることはできないのに、たまにCSとかのジャネットの番組や音楽記事ででまったく彼らの名前が出てないものがあるんだけど、あれはほんとダメだわ。ほんとジミーとテリーは、プロデューサーの地位を確立したと思う。
ジャネットの成功物語の始まりとなる『コントロール』の制作秘話にうつる。私が見てきた感じだと、ジャネットとジャム&ルイスを引き合わせたのは、A&Mレコードの敏腕A&R、ジョン・マックレーンだと思うのですが、その辺は詳細には語られていない。
ジミーとテリーは、ミネアポリス出身。プリンスの舎弟バンド、The Timeのメンバーでした。ザ・タイムは映画『パープルレイン』でプリンスのライバルバンドとして重要な役割も担います。ジミーは、キーボード、テリーはベース。メンバーの6人は才能あふれるアーティストでもあり、全員がProduceもでき、ソロヒット曲をもつ。そこにプリンスの後光がさすからさらに伝説的なバンドになっている。ジャネットとはシカゴでのライブで初めて出会ったとジミーが述べている。数年後、ジャネット自らミネアポリスのジャム&ルイスに電話をかけた的な感じになってる。ジャネットをミネアポリスに招き、ジャネットの心を吐露した彼女の物語となる作品を作ろうと提案したのもジャム&ルイスだった。ジャム&ルイスは、あえてジョーからジャネットを引き離しミネアポリスで長期に渡るレコーディングを開始した。
ジョーからは「プリンスみたいな曲を歌わせないでくれよ」と言われ、ジミーは「ご心配なく」と答えるも、きっちり「コントロール」なんてもろタイムの音でプリンスっぽい(笑)。この『コントロール』期に、離散状態のタイムが再び集い、ジャネットとのライブ映画の構想もあったけど、実現せず。その感触は「コントロール」のMVに見る事ができる。
そして『コントロール』の一連のシングルヒット曲の振付を手がけたポーラ・アブドゥルも登場。アブドゥルは、レイカーズのチアリーダーをしている時に、レイカーズの大ファンでもあったジャクソン兄弟の長兄・ジャッキーとの出会いでジャクソンファミリーとの接点をもつ事になる。(このインタビューではジャッキーと特定名を出さずというか、諸事情により出せない感じ)アブドゥル自身もエンタメ界で活躍したいという野心をもっていた。二人の貴重なダンスの練習シーンもうつる。アブドゥルも当時を振り返ったとき、涙を流したのが印象的だった。妹のように思って支えてきたと。
ジャネットは次の『リズム・ネイション』期の楽曲では『Forever Your Girl』が大ヒットしていた師匠のアブドゥルとMTV の最優秀振付部門で争うことになりますが、ジャネットが栄冠を勝ち取るまでになります。ダンスの基礎をたたき込んだのはアブドゥルだと思う。
『コントロール』は、グラミーの最優秀プロデューサーも受賞したジャム&ルイスによるシンセグルーブ、ドラムサウンドと等身大のジャネットのメッセージに多くの人が共感した事、そしてすばらしいダンスによるMVと融合した事が歴史的な成功へと導いたと思う。(1986年度、ジャムルイは、ジャネットの他に、SOS バンド、ヒューマンリーグの作品も手がけ見事にグラミーを受賞)
ジャネットもここまでの成功は予見していなかったと。レコード会社主催の祝賀パーティーの様子も映されてて、クインシー・ジョーンズとジミーとテリーが肩を組んで楽しそうにしている姿は印象的だった。ジャム&ルイスもクインシーを見本とした。
兄、マイケルの呪縛についてもふれられる。たしかに『コントロール』期は、こんなに成功してもまだマイケルの妹という印象は強かった。ジャネットも、ジャクソンの名前が手助けになった面もあれば、重しになった面もあると述べている。ジャクソンの名声を求めて自分に近づいているのか、自分自身を求めているのかの見極めが難しかったと。これはこの後の彼女の人生にずっとつきまとうテーマだったように思う。
マイケルとの関係性も『スリラー』の成功後、大きく変わったと。ある日、突然、マイケルが部屋に来るも何も言わずに立ち去っていったと。あれほどいろいろな話をしていた関係だったのに、この日を境に以前の関係性にもどれなかったと。この時、マイケルは何を思ったのだろう。このエピソードは印象的だった。
そしてレネ・エリゾンドもこの辺りから登場する。レネはダンサーとして、ジャネットのクルーの一員だった。元々は映像系の人で『Janet.』期のNo1シングル「That's The Way Love Goes」や「Again」のMVの監督もしてるし、89年の「Come Back To Me」でも恋人役で登場してたけど、1987年の頃からもうつきあいが始まっていたとは意外だった。
楽曲制作やビデオ制作においてレネは発言権や決定権も相当あったみたいで、周囲も2人の関係性は把握していたけど、結婚をしていたことは秘密にされており、みんな知らなかったみたい。後に『The Velbet Rope』期に離婚を発表したときに、結婚してたんだってわかったから。
そして『Rhythm Nation』期に入る。ジミーも述べているように当初は、社会的問題を扱ったシリアスなアルバムコンセプトはなかったと。MTVのジャネットIconで語っていたようにアルバムタイトルは『エスカペイド』で、明るいジャネットを前面に出したアルバムコンセプトだった。
しかし、これに異を唱えたのはジャネット自身で、貧困や差別、ドラックに立ち向かうコンセプトも組み入れた。レコード会社にも最後までこのコンセプトは内密にしていたという。こういうコンセプトを思いついたのもマイケル達が参加した「We Are The World」のプロジェクトがあったと思う。なので『リズム・ネイション』はそういったシリアスサイドと、ジャネットの明るいキャラを前面に出したサイドが融合したアルバムになっている。
レネが録画しているのであろうレコーディング風景も出てくるけど、「エナジーが足りない」というジミーに「頑張ってやってるのにどうしたらいいの!もう帰る!!」ってキレるジャネットも出てくる。でもなんか、芝居じみてないかとも思ったのはオレだけ~~。
まあでも『コントロール』の後の作品だから相当のプレッシャーがあったのは事実。ジャネットはマイケルを意識することはなかったと言ってる一方、ジミーは「オレの方がマイケル(を上回る成功か)を意識していた」って述べていたのは興味深かった。
エピソード3 真実 1990年(24歳) ~ 2003年(37歳)
アルバム『リズム・ネイション』のメガヒットと世界ツアーが行われる。これがジャネットにとってのデビューツアーとなります。この日本でも公演が行われジャネット旋風がまきおこった。ツアーは大成功を収め、デビューツアーの動員記録も打ち出す。
ジャネットは1991年ハリウッドのホール・オブ・フェイムに登録される。ある意味超一流エンターテイナーの認定を受けた。家族への感謝の前にジミーとテリーに感謝の言葉を伝えたのが印象的。ジャネットも「この時初めて音楽業界で自力で立つことができたと」述べている。ジミーが「RNは『スリラー』を超えたと。シングル7曲すべてTop5入りした」(『スリラー』は当時、7曲がTop10入りするという前人未踏の記録だった)と誇らしげ。ジミー、めちゃくちゃマイケルを意識してる。でもアルバムセールスは到底およんでいないから。
A&Mとの契約が切れたジャネットを、レコード会社が争奪。最終的に、当時、勢いのあったリチャード・ブランソン率いるヴァージンレコードが5000万ドル(約50億)で獲得。思うにジャネットとジャム&ルイスはセットでの契約っぽい。ニューアルバム制作前にジャネットは映画出演を決める。監督はこの作品の前年『ボーイズ'ン・ザ・フッド』で史上最年少の24歳でノミネートさらに黒人としても初めてとなるジョン・シングルトン。(92年にはマイケルの「Remember The Time」のSFも監督)
いろいろ見ると、ジャネットのために作った作品ではなく、ジャネットもオーディションを受けて主役の座をつかんだ感じ。当時としてはめずらしい黒人女性の恋愛映画。しかし、ブラックカルチャーや黒人の置かれている状況ももりこんだシリアスな側面も描かれている。そして共演は2パック。彼の役は当初 Ice Tだったってあったけど「それはないわ~」って思う。2パックが適役。役柄通り女好きそうだけどいい男だわ。この後ジャネットの「Got Til It's Gone」でも共演するQ-Tipが元の恋人役でヒップヒップ色も強い映画。
この作品、視聴しましたが、ジャネットの演技は素晴らしいと思う。育ちの良いジャネットならふだんぜったい言わないような卑猥なスラングも、彼女が演じるジャスティスは言ってるし、2パック演じるラッキーとのケンカでは「F〇ck You」の応酬。『コントロール』の時もジャネットの変化に聴衆は驚いたと思うけど、この映画のジャネットにも驚く。ジャネットの演技は元々子役時代から定評があった。しかし、この作品で、ジャネットは例のゴールデンラズベリーの新人賞を受賞しちゃう・・・でもMTVの方では、デミ・ムーアやジュリア・ロバーツをおさえて女性演技賞を受賞している。
この映画の主題歌がジャム&ルイス制作でNo1シングルにもなる「Again」。劇中でもインスト的なバージョンも流れていい感じ。このMVの監督を夫のレネが担当する。でも当時、籍を入れていたとは周囲は知らなかった。
このMVでジャネットはセクシーな男性と官能的な絡みを見せますが、その演出が夫のレネって!なんか寝取られ願望(爆)でもあるのか。レネは『ポエティック・ジャスティス』にもちょい役で出演してる (ラッキーの同僚の郵便局員の役)。ジャム&ルイス的にも初めて映画音楽でアカデミー賞にノミネートされたのは誇りに思っていた。
生きていたら2パックもきっとインタビューに登場していたと思うけど、この映画の3年後の96年に彼は銃撃を受けて亡くなっている。当時は衝撃でした。
『ポエティック・ジャスティス』のサントラはブラックムービーの中でも評価の高いアルバム。(中古でめちゃ安い値段で売られてると思う)TLCによるThe Timeの「Get It Up」もカバー。スティーヴィーが歌う「Never Dreamed you'd Leave In Summer」も劇中で効果的に流れる。(この曲はマイケルの追悼式でもスティーヴィーによって歌われた)
サントラには主題歌の「Again」は収録されていないという。この後に控えていたジャネットのアルバムには収録される。
そして1993年、満を持してのアルバム発表。愛をテーマにするもセクシー路線の『Janet.』
当時、ジャネットのこのセミヌードのアルバムジャケも話題でしたが、ジャネットのオパイを後ろからつつんでいるのがやはりレネでした。(後にスーパーボウルで乳首露出事件が起きますが、こっちの方がエロティックだと思うけど、概ね好意的に受け入れられてる)
サウンド的にはジャム&ルイスがプロデュースしていますが、映像やジャネットの方向性はレネがすべて主導していた感じ。『Janet』は大成功。ジャネットはさらに進化した。そんな中で、マイケルの事件が起きる。
1993年、マイケルに対して驚くべき告発がされます。ジョーディー・チャンドラーという13歳の少年が、精神科医にマイケルに性的虐待をされたと述べたことを発端に検察が動く事態となります。しかし、これは父親のエヴァンによって仕組まれたもので、アミタールという幻覚作用のある自白強要薬を使用したものでした。(下記書籍にこの事件の詳細があります)
この出来事は、ジャネットにはそんなに影響ないと思っていたけど、今回の告白でコカコーラとの大型契約が流れたという事実を知った。ジャネットの口から連帯責任を負わされたという表現は、最初驚いたけど、今は、マイケルに足を引っ張られたという感覚で述べているのではないとわかった。例のごとくマイケルへの疑惑を聞かれるも「私は兄をわかっている。そんな事をする人ではない」というシンプルな一言に説得力を感じる。「Never」と言ってるから訳としては「一度たりともない」くらい強い言葉で日本語訳をいれてほしい。
この後にジャネットの新作が出る。本来ならこのスーパーボウルが最高のプロモーションになるはずだったのに、最悪のタイミングで、自身のミドルネームを冠したアルバム『ダミタ・ジョー』が発表される。
このアルバムもジャム&ルイスが中心になるも、弟子のAvil BrothersやBabyface、カニエ・ウェスト、ダラス・オースティン等、多彩なトッププロデューサが集う話題作。これまでにない多彩な顔ぶれが参加したアルバムですが、レトロな恋愛映画のサントラのような趣でまとまっている。(ただダラスの先行シングル「Just A Little While」はアルバムカラーと全然違うけど)しかしジャネットへの逆風は吹き荒れアルバムもPOPで初めて1位をとれず2位。たいしたシングルヒットもでない状況になります。シーンからほされる状況になります。グラミーで楽曲ノミネートされるも賞からも招待されなかったという事も今回初めて知った。このスーパーボウルの事件後、シーンはジャネットの存在を無視していたと発言するザ・ルーツのクエストラヴ。たしかにその印象は持った。
2003年末、兄マイケルに二度目の疑惑がかけられ、また捜査がはいる。うったえた家族はハリウッドでも有名なたかり家族なのですが、またマイケルは世から疑惑の目で見られる(2005年に裁判で完全無罪の判決がくだりますが)。下記の書籍はマイケルに無実の判決が下るまでの流れが詳細に記されています。
こんな小さい家で両親の寝室とリビングの2部屋しかなかったみたい。そこで11人で生活するってすごいよな。生活保護の受給も考えたという位だそうなんですが、実際ほんとうにそこまでの極貧だったのかよくわからない。そんな状況でプロにすべく子供たちに楽器を与え、音楽活動ができたんだろうか?っていうのがけっこうおれ的には不思議。さらにジャクソンファミリーって品があるし。母・キャサリンの自伝の中で、「ジャクソン・ファミリーの人間が今でもこんなに仲の良い理由の一つは小さな家にひしめきあって住んでいたから」と三男で家族リーダー的な存在、ジャーメインは述べている。
キャサリンは熱心なエホバの証人の信者だったし、一時期、マイケルもそうだった。この番組でジャネットの口からエホバの証人に関しての話はでなかったけど、キャサリンは、ジャネットがセクシャルな事をすることには快く思っていなかったと書籍にはちょこちょこ書いてある。
ジャネットは1966年5月16日生。ジャクソンファミリーがセレブなロサンゼルスに引っ越ししてから生まれたと思っていましたが、5歳くらいまではジャネットもゲーリーにいたんですね。ジャネットはこの家の記憶はほとんどない様子だった。長姉のレビーは、かわいげがなかったであろう自己主張の強そうな二女・ラトーヤとちがい、妹って感じのジャネットをすごくかわいがった感じ。でもジャネットもそれなりに自己主張は強い(笑)。レビーは、母キャサリンを相当助けてきたんじゃないかなとも思った。
ここでジャクソンファイブ誕生の伝説のエピソードも明確に語られる。父親の大切なギターを許可なくPlayしていた二男ティトが弦を切ってしまったという出来事はやはりそうみたい。ただギターをそのまま元の場所に戻し、それを見つけてジョーが怒り狂ったとかではなく、激高しそうなジョーに対して、キャサリンが「怒る前に息子達の演奏を聞いて」と諭したというのがここで語られていた。でもジョーも、うすうす子どもたちが音楽的なものに興味を持っているのは感じていたのではないのかなって思った。
こうしてジャクソン兄弟はプロになるべく練習に明けくれる。隣家からは、文句を言われながらも。こうして地元の音楽コンテストで優勝していき、ベリー・ゴーディー率いる当時黒人最強レーベルのモータウンの目にとまり契約を勝ち取るわけです。そして、ベリー・ゴーディーの言葉通りデビューから4曲連続のNo1シングルを生み出すという離れ業を成し遂げるのです。
後に、インタビューで、ジョーは「この成功は予見していた」と言いきっていた所がすごい。ただ持っている才能を最大限に発揮すべくそれだけの練習をしたという自負もあった。TV番組のインタビューで、マイケルを含めた子どもたちを前に、マイケルはリードボーカルなのにねぼすけだって。罰としてとしてお小遣い減らしてるという話をしながら少年マイケルと握手をするジョー。そこには愛が溢れている。
1971年、ジャクソンファミリーはロサンゼルスに引っ越す。モータウンも本社がデトロイトからLAに移転していた。ここからセレブチックな生活になっていったと思う。当時の隣人の証言によると、このセレブ地区に引っ越してきた初めての黒人ではって。けっこう驚きのエピソードで、あのデヴィッド・ボウイもジャクソンズ邸に遊びに来たらしく、その時のエピソードもおもしろかった。ここでは触れられていなかったけど、ダイアナ・ロスの家も近くだったみたいで、マイケルやマーロンは、ダイアナの豪邸に行って礼節や作法、業界で成功するための術も彼女から教えられている。
そんな華やかな生活の一方で、当時はふつうに差別を受けたと悲しげに語るジャネット。学校は白人のお金持ちの子供ばかりで、ジャネットたちが学校に来ないよう嘆願書も出されたり、ふつうに黒人としての差別を受けていたと。
そして、この辺りからジャネットのエンタメ業界話になっていく。ジャネットはラスベガスのファミリーショーに7歳でデビュー。ぜったい的な父親の命令で嫌々出た感じだけど、多彩な彼女は見事にその舞台をこなす。そして、彼女は、ミュージカルやTVドラマでまずその才能を開花させていく。ジャネットは、年の近いマイケル、ランディとよく遊んだ感じ。そして兄たちの音楽活動に刺激をうけちょっとした作曲なんかもしたみたい。あるとき、ジャネットが作った曲を聞いて、ジョーは「歌手になれ」と。でジャネットも「喜んで」というかと思ったら、大学でビジネスを学びたかったみたいで、これまたジョーの命令にさからうわけにはいかず、自分の意志に反して歌手の道に進んだ感じ。そしてA&Mレコードと契約しデビュー。すべてジョーの管理下の中でジャネットは言われたとおりに歌うだけだったと。何一つ口出しができなかった。
そして最初の注目箇所、ジェームズ・デバージとの極秘結婚エピソードについて、彼女の口から語られる。業界の事もわかっている音楽一家のデバージファミリーとは、付き合いやすかったのだと思うし、基本、ジャネットに一般的な出会いなんかもなかったと思われる。恋に落ちるけど、父親の束縛から抜け出す要素も大いにあった感じ。そしてジェームズ自身も登場したのは驚いた。彼女の結婚は、ブラザー達もビクトリーツアーの真っ只中で知ったとあったけど、家族の中で唯一、ラトーヤは知っていて後押ししてくれたという話も意外だった。(今回の証言者に、ラトーヤは一切出てない(笑))
エピソード2 コントロール 1986年(20歳)~ 1990年(24歳)
Epi2から本格的にジャネットの物語に突入していきます。この期間は4年位ですが、ジャネットが成功をつかみ一気にトップにかけあがった濃厚の時期だと思います。まず家族にも秘密裏にすすめたジェームズ・デバージとの結婚。彼女の口からも父親からの管理体制から逃れる方法はこれしかなかったと。
愛し合った2人だったけど、お互い若く未熟だったとジャネット自身も振り返っている。何よりも彼が薬物中毒だった事がこの結婚生活を妨げた。姉のラトーヤや母親の書籍を見ると、ジャネットは身も心もボロボロになったような事が記してある。そして、ずっとマスコミに言われ続けていたジェームズとの隠し子の事にもふれられる。当時、ジャネットがポッチャリしてたこともこの疑惑を増幅させた。私も、あるかもと思っていた所もある。そして、彼女の口からこの事について明確に答えが語られます。
そしてプロデューサーのジミー・ジャムとテリー・ルイスの登場です。ジャネットの物語を語るのに彼らをぬきにして語ることはできないのに、たまにCSとかのジャネットの番組や音楽記事ででまったく彼らの名前が出てないものがあるんだけど、あれはほんとダメだわ。ほんとジミーとテリーは、プロデューサーの地位を確立したと思う。
ジャネットの成功物語の始まりとなる『コントロール』の制作秘話にうつる。私が見てきた感じだと、ジャネットとジャム&ルイスを引き合わせたのは、A&Mレコードの敏腕A&R、ジョン・マックレーンだと思うのですが、その辺は詳細には語られていない。
ジミーとテリーは、ミネアポリス出身。プリンスの舎弟バンド、The Timeのメンバーでした。ザ・タイムは映画『パープルレイン』でプリンスのライバルバンドとして重要な役割も担います。ジミーは、キーボード、テリーはベース。メンバーの6人は才能あふれるアーティストでもあり、全員がProduceもでき、ソロヒット曲をもつ。そこにプリンスの後光がさすからさらに伝説的なバンドになっている。ジャネットとはシカゴでのライブで初めて出会ったとジミーが述べている。数年後、ジャネット自らミネアポリスのジャム&ルイスに電話をかけた的な感じになってる。ジャネットをミネアポリスに招き、ジャネットの心を吐露した彼女の物語となる作品を作ろうと提案したのもジャム&ルイスだった。ジャム&ルイスは、あえてジョーからジャネットを引き離しミネアポリスで長期に渡るレコーディングを開始した。
ジョーからは「プリンスみたいな曲を歌わせないでくれよ」と言われ、ジミーは「ご心配なく」と答えるも、きっちり「コントロール」なんてもろタイムの音でプリンスっぽい(笑)。この『コントロール』期に、離散状態のタイムが再び集い、ジャネットとのライブ映画の構想もあったけど、実現せず。その感触は「コントロール」のMVに見る事ができる。
ジャネットは次の『リズム・ネイション』期の楽曲では『Forever Your Girl』が大ヒットしていた師匠のアブドゥルとMTV の最優秀振付部門で争うことになりますが、ジャネットが栄冠を勝ち取るまでになります。ダンスの基礎をたたき込んだのはアブドゥルだと思う。
『コントロール』は、グラミーの最優秀プロデューサーも受賞したジャム&ルイスによるシンセグルーブ、ドラムサウンドと等身大のジャネットのメッセージに多くの人が共感した事、そしてすばらしいダンスによるMVと融合した事が歴史的な成功へと導いたと思う。(1986年度、ジャムルイは、ジャネットの他に、SOS バンド、ヒューマンリーグの作品も手がけ見事にグラミーを受賞)
ジャネットもここまでの成功は予見していなかったと。レコード会社主催の祝賀パーティーの様子も映されてて、クインシー・ジョーンズとジミーとテリーが肩を組んで楽しそうにしている姿は印象的だった。ジャム&ルイスもクインシーを見本とした。
兄、マイケルの呪縛についてもふれられる。たしかに『コントロール』期は、こんなに成功してもまだマイケルの妹という印象は強かった。ジャネットも、ジャクソンの名前が手助けになった面もあれば、重しになった面もあると述べている。ジャクソンの名声を求めて自分に近づいているのか、自分自身を求めているのかの見極めが難しかったと。これはこの後の彼女の人生にずっとつきまとうテーマだったように思う。
マイケルとの関係性も『スリラー』の成功後、大きく変わったと。ある日、突然、マイケルが部屋に来るも何も言わずに立ち去っていったと。あれほどいろいろな話をしていた関係だったのに、この日を境に以前の関係性にもどれなかったと。この時、マイケルは何を思ったのだろう。このエピソードは印象的だった。
そしてレネ・エリゾンドもこの辺りから登場する。レネはダンサーとして、ジャネットのクルーの一員だった。元々は映像系の人で『Janet.』期のNo1シングル「That's The Way Love Goes」や「Again」のMVの監督もしてるし、89年の「Come Back To Me」でも恋人役で登場してたけど、1987年の頃からもうつきあいが始まっていたとは意外だった。
楽曲制作やビデオ制作においてレネは発言権や決定権も相当あったみたいで、周囲も2人の関係性は把握していたけど、結婚をしていたことは秘密にされており、みんな知らなかったみたい。後に『The Velbet Rope』期に離婚を発表したときに、結婚してたんだってわかったから。
そして『Rhythm Nation』期に入る。ジミーも述べているように当初は、社会的問題を扱ったシリアスなアルバムコンセプトはなかったと。MTVのジャネットIconで語っていたようにアルバムタイトルは『エスカペイド』で、明るいジャネットを前面に出したアルバムコンセプトだった。
しかし、これに異を唱えたのはジャネット自身で、貧困や差別、ドラックに立ち向かうコンセプトも組み入れた。レコード会社にも最後までこのコンセプトは内密にしていたという。こういうコンセプトを思いついたのもマイケル達が参加した「We Are The World」のプロジェクトがあったと思う。なので『リズム・ネイション』はそういったシリアスサイドと、ジャネットの明るいキャラを前面に出したサイドが融合したアルバムになっている。
まあでも『コントロール』の後の作品だから相当のプレッシャーがあったのは事実。ジャネットはマイケルを意識することはなかったと言ってる一方、ジミーは「オレの方がマイケル(を上回る成功か)を意識していた」って述べていたのは興味深かった。
エピソード3 真実 1990年(24歳) ~ 2003年(37歳)
アルバム『リズム・ネイション』のメガヒットと世界ツアーが行われる。これがジャネットにとってのデビューツアーとなります。この日本でも公演が行われジャネット旋風がまきおこった。ツアーは大成功を収め、デビューツアーの動員記録も打ち出す。
ジャネットは1991年ハリウッドのホール・オブ・フェイムに登録される。ある意味超一流エンターテイナーの認定を受けた。家族への感謝の前にジミーとテリーに感謝の言葉を伝えたのが印象的。ジャネットも「この時初めて音楽業界で自力で立つことができたと」述べている。ジミーが「RNは『スリラー』を超えたと。シングル7曲すべてTop5入りした」(『スリラー』は当時、7曲がTop10入りするという前人未踏の記録だった)と誇らしげ。ジミー、めちゃくちゃマイケルを意識してる。でもアルバムセールスは到底およんでいないから。
A&Mとの契約が切れたジャネットを、レコード会社が争奪。最終的に、当時、勢いのあったリチャード・ブランソン率いるヴァージンレコードが5000万ドル(約50億)で獲得。思うにジャネットとジャム&ルイスはセットでの契約っぽい。ニューアルバム制作前にジャネットは映画出演を決める。監督はこの作品の前年『ボーイズ'ン・ザ・フッド』で史上最年少の24歳でノミネートさらに黒人としても初めてとなるジョン・シングルトン。(92年にはマイケルの「Remember The Time」のSFも監督)
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いろいろ見ると、ジャネットのために作った作品ではなく、ジャネットもオーディションを受けて主役の座をつかんだ感じ。当時としてはめずらしい黒人女性の恋愛映画。しかし、ブラックカルチャーや黒人の置かれている状況ももりこんだシリアスな側面も描かれている。そして共演は2パック。彼の役は当初 Ice Tだったってあったけど「それはないわ~」って思う。2パックが適役。役柄通り女好きそうだけどいい男だわ。この後ジャネットの「Got Til It's Gone」でも共演するQ-Tipが元の恋人役でヒップヒップ色も強い映画。
この作品、視聴しましたが、ジャネットの演技は素晴らしいと思う。育ちの良いジャネットならふだんぜったい言わないような卑猥なスラングも、彼女が演じるジャスティスは言ってるし、2パック演じるラッキーとのケンカでは「F〇ck You」の応酬。『コントロール』の時もジャネットの変化に聴衆は驚いたと思うけど、この映画のジャネットにも驚く。ジャネットの演技は元々子役時代から定評があった。しかし、この作品で、ジャネットは例のゴールデンラズベリーの新人賞を受賞しちゃう・・・でもMTVの方では、デミ・ムーアやジュリア・ロバーツをおさえて女性演技賞を受賞している。
この映画の主題歌がジャム&ルイス制作でNo1シングルにもなる「Again」。劇中でもインスト的なバージョンも流れていい感じ。このMVの監督を夫のレネが担当する。でも当時、籍を入れていたとは周囲は知らなかった。
このMVでジャネットはセクシーな男性と官能的な絡みを見せますが、その演出が夫のレネって!なんか寝取られ願望(爆)でもあるのか。レネは『ポエティック・ジャスティス』にもちょい役で出演してる (ラッキーの同僚の郵便局員の役)。ジャム&ルイス的にも初めて映画音楽でアカデミー賞にノミネートされたのは誇りに思っていた。
『ポエティック・ジャスティス』のサントラはブラックムービーの中でも評価の高いアルバム。(中古でめちゃ安い値段で売られてると思う)TLCによるThe Timeの「Get It Up」もカバー。スティーヴィーが歌う「Never Dreamed you'd Leave In Summer」も劇中で効果的に流れる。(この曲はマイケルの追悼式でもスティーヴィーによって歌われた)
サントラには主題歌の「Again」は収録されていないという。この後に控えていたジャネットのアルバムには収録される。
そして1993年、満を持してのアルバム発表。愛をテーマにするもセクシー路線の『Janet.』
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当時、ジャネットのこのセミヌードのアルバムジャケも話題でしたが、ジャネットのオパイを後ろからつつんでいるのがやはりレネでした。(後にスーパーボウルで乳首露出事件が起きますが、こっちの方がエロティックだと思うけど、概ね好意的に受け入れられてる)
サウンド的にはジャム&ルイスがプロデュースしていますが、映像やジャネットの方向性はレネがすべて主導していた感じ。『Janet』は大成功。ジャネットはさらに進化した。そんな中で、マイケルの事件が起きる。
1993年、マイケルに対して驚くべき告発がされます。ジョーディー・チャンドラーという13歳の少年が、精神科医にマイケルに性的虐待をされたと述べたことを発端に検察が動く事態となります。しかし、これは父親のエヴァンによって仕組まれたもので、アミタールという幻覚作用のある自白強要薬を使用したものでした。(下記書籍にこの事件の詳細があります)
救済 マイケル・ジャクソン 児童性的虐待疑惑(1993年)の真相 (ALL THAT’S MJ)
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この出来事は、ジャネットにはそんなに影響ないと思っていたけど、今回の告白でコカコーラとの大型契約が流れたという事実を知った。ジャネットの口から連帯責任を負わされたという表現は、最初驚いたけど、今は、マイケルに足を引っ張られたという感覚で述べているのではないとわかった。例のごとくマイケルへの疑惑を聞かれるも「私は兄をわかっている。そんな事をする人ではない」というシンプルな一言に説得力を感じる。「Never」と言ってるから訳としては「一度たりともない」くらい強い言葉で日本語訳をいれてほしい。
マイケルサイドが、和解金(正確には資金の提供だと思うけど)を払ったことは、世間からしたら有罪に見えるという事はジャネットも述べてるな。マイケルは少年の証言が偽りであることを証明するために司法の要求のため自身の性器を見せる事も行っている。
和解後、実はあのFBIも独自に捜査していたことが後に判明しますが、マイケルに疑わしい事実はなかったという600ページにも及ぶ報告書をまとめています。もし犯罪行為を疑う要素があれば、民事で和解していようと刑事告発されたはずです。しかしまったくそういうものがなかったという結論を出しているのです。
この事件からマイケルへの逆風は強まりましたが、マイケルは音楽でこの理不尽な扱い、特にメディアに対して怒りの声をぶつけます。復活ののろしをあげるべく声をかけたのが他ならぬジャネットでした。デビュー当時、ジャクソンの七光り的なものを嫌い、兄たちの力を借りるのも頑なに拒んでいたジャネットが、偉大なスーパースターマイケルを助ける立場になった。絶頂期にあるジャネットが、兄のサポートをするリスクは0ではなかったと思いますが、ジャネットは迷いなくマイケルの依頼を受けたと思います。
ニューヨークでマイケルとジャネットが曲作りをしているすごいレアな映像も出てくるけど、これもレネの撮影なのか。そして、ジャム&ルイスとマイケルも融合することになる。『ヒストリー』はマイケルの内面を表現したとても私的なアルバム。『コントロール』でジャネットの内面を作品にしたジャム&ルイスが今度は、兄マイケルの作品作りを手助けすることになる。
1990年前後にも、マイケルとジャム&ルイスの共演を噂されたことがあったけど、マイケル以上にジャムルイも多忙だった。ジャネットのプロジェクトもあったし、Perspectiveレコードの設立にも動いていた。もしこの頃のマイケルと作品を作ることになったらマイケルの孤独、子どもたちへの愛、平和、地球への癒やしそんな愛溢れるテーマになったと思いますが、95年時のマイケルは、怒りと苦悩の中にいた。必然的にそういったものが語られる作品となる。そして出来上がった最高曲の一つが「Scream」です。
ジミーも、マイケルとのレコーディングの風景をリアルに語る。だいたいみんなマイケルの真似をするとき、高くささやくしゃべりをするな~(笑)。ジミーとテリーも、マイケルのすさまじいボーカルの前にして、ティーンの女の子のように「キャ~」みたいな感じになったというのはうける。
ギネスでも世界最高額となっている約12億の制作費をかけたMusic Videoのエピソードが、ジャネットの口から初めて語られる。ふつうにMVは共演シーンもあると思うけど、セットを完全に分けられ「レコード会社に兄と争わさせられた」という表現で語るジャネットの表情はとても暗い。厳重に管理され、ソロ録りの部分の行き来はできなかったという事か。けっこうこの「スクリーム」の裏エピソードの言葉の意味合いは謎。語られて謎が深まるという。
そしてジャネットの方もニューアルバムの制作に入る。別のインタビューでジャネットはこう語っている、「人が困難に直面したときの対処方法は2つ。逃げるか乗り越えるか」と。そしてジャネットは逃げずにその困難と向き合った。そうしてできたアルバムが『ザ・ヴェルヴェットロープ』だったといいます。
ジミーも彼女にとって初めての挑戦と呼べる作品と。別のインタビューでは、彼女を知りたければこのアルバムに答えがあると言っている。これまでの作品と比較するとキャッチーさも高くないしダークな雰囲気もありアルバムセールスはおちるけど、アーティスト性はめちゃくちゃ高い。すごい黒いし。だから黒人層からはすごく受けた作品でもあると思う。そして、レネ・エリゾンドの共作クレジットも多数載ってるアルバム。
そしてこの頃に、極秘結婚していたレネ・エリゾンドとの破局が世に出ます。レネとの財産分与の事でもめて裁判になったことで公になった感じです。前半に登場していたレネですが、この部分の所では出てきません。レネ自身の薬依存の話もでてきた。(彼もオピオイド系の鎮痛剤依存になるのか)あれほど一心同体的な二人だったのに。ただ今回のインタビュー見ると、いつの頃からか、レネの縛りがきつくなり、対等な関係性がくずれ支配を受けていたと感覚に変わっていった印象。彼女の行動をレネがコントロールしすぎた事にジャネットの心がついていけなくなった感じ。金銭の所で裁判になったのはジャネットはすごく傷ついたように思う。
この後、レネとの件もおちつき心機一転、音楽活動を再開。ここにきてまだこんなキャッチーなアルバムを作ってしまうのかという2001年の『All For You』。
ふっきれてめちゃ明るい35歳のジャネットがここにいる。このアルバムも大ヒット。「Does't Really Matter」と「All For You」という大ヒットNo1シングルを生む。
マイケルが最後の住居としていたLAの豪邸の前を通るとき、マイケルの取り巻きたちによってファミリーが引き裂かれたと苦々しく語るジャネットが印象的。長年の取り巻きと聞いて、一番最初にあがるのはやはりジョン・ブランカなのか。ジョン・マクレーンはジャクソンファミリーと旧知の仲だしな。フランク・カシオとかもどの立ち位置なのか。この頃からマイケルに会う機会はなかった状況を知る。
エピソード4 All Of Me 2004年(38歳)~ 2022年(56歳)
そして、今回のドキュメンタリー番組の制作のきっかけの要素の一つとなっていると思っている2004年のスーパーボウルでの胸の露出事件についてふれられる。イン・シンクのフロントマン、ジャスティン・ティンバーレイクがソロ活動を開始したタイミングでのジャネットの共演、それもこのスーパーボウルの舞台で。ジャネットもこれまで2回打診を受けていたみたいだけど、世界ツアーに出ていてスケジュールがあわなかった模様。3回目にして初めてこの舞台に立つ。(兄マイケルの1993年のショーも伝説の一つ)この時の映像は、今でも普通に見る事ができますが、歌の最後にジャスティンがジャネットの胸の辺りの服を引きちぎって、乳首が露出、同時に花火があがってライトダウンで終幕という。
正直、USAってこんな事で大騒ぎするの?って印象だったけど、スーパーボウルの視聴者数がハンパない。USAの半分の1億は見てると言われているし、全世界的には10億の視聴とも。子供も見てるわけで、特に一部の宗教関係者は大激怒。公のTV局もやはりスルーできない感じ。ただ乳首がモロというより、アクセサリーがついていて完全な露出という感じでもない。ただそれがさらに演出感を高めた印象は持ってしまう。たぶん、多くの人もそう思ったんだと思う。ジャネットはこのインタビューでも、意図的なものではなくアクシデントだったと述べる。声明を出した方がいいかと相談を受けたジャスティンをかばい、ほとぼりが冷めるのをまつ事を選んだ。ジャスティンが、この箇所で証言者として登場したら「すごっ」って思ったけど、それはなかった。ただこの事件の影響をもろかぶったのはジャネット側で、ジャスティンはここからさらに人気が上昇していくという。和解後、実はあのFBIも独自に捜査していたことが後に判明しますが、マイケルに疑わしい事実はなかったという600ページにも及ぶ報告書をまとめています。もし犯罪行為を疑う要素があれば、民事で和解していようと刑事告発されたはずです。しかしまったくそういうものがなかったという結論を出しているのです。
この事件からマイケルへの逆風は強まりましたが、マイケルは音楽でこの理不尽な扱い、特にメディアに対して怒りの声をぶつけます。復活ののろしをあげるべく声をかけたのが他ならぬジャネットでした。デビュー当時、ジャクソンの七光り的なものを嫌い、兄たちの力を借りるのも頑なに拒んでいたジャネットが、偉大なスーパースターマイケルを助ける立場になった。絶頂期にあるジャネットが、兄のサポートをするリスクは0ではなかったと思いますが、ジャネットは迷いなくマイケルの依頼を受けたと思います。
ニューヨークでマイケルとジャネットが曲作りをしているすごいレアな映像も出てくるけど、これもレネの撮影なのか。そして、ジャム&ルイスとマイケルも融合することになる。『ヒストリー』はマイケルの内面を表現したとても私的なアルバム。『コントロール』でジャネットの内面を作品にしたジャム&ルイスが今度は、兄マイケルの作品作りを手助けすることになる。
1990年前後にも、マイケルとジャム&ルイスの共演を噂されたことがあったけど、マイケル以上にジャムルイも多忙だった。ジャネットのプロジェクトもあったし、Perspectiveレコードの設立にも動いていた。もしこの頃のマイケルと作品を作ることになったらマイケルの孤独、子どもたちへの愛、平和、地球への癒やしそんな愛溢れるテーマになったと思いますが、95年時のマイケルは、怒りと苦悩の中にいた。必然的にそういったものが語られる作品となる。そして出来上がった最高曲の一つが「Scream」です。
ジミーも、マイケルとのレコーディングの風景をリアルに語る。だいたいみんなマイケルの真似をするとき、高くささやくしゃべりをするな~(笑)。ジミーとテリーも、マイケルのすさまじいボーカルの前にして、ティーンの女の子のように「キャ~」みたいな感じになったというのはうける。
ギネスでも世界最高額となっている約12億の制作費をかけたMusic Videoのエピソードが、ジャネットの口から初めて語られる。ふつうにMVは共演シーンもあると思うけど、セットを完全に分けられ「レコード会社に兄と争わさせられた」という表現で語るジャネットの表情はとても暗い。厳重に管理され、ソロ録りの部分の行き来はできなかったという事か。けっこうこの「スクリーム」の裏エピソードの言葉の意味合いは謎。語られて謎が深まるという。
そしてジャネットの方もニューアルバムの制作に入る。別のインタビューでジャネットはこう語っている、「人が困難に直面したときの対処方法は2つ。逃げるか乗り越えるか」と。そしてジャネットは逃げずにその困難と向き合った。そうしてできたアルバムが『ザ・ヴェルヴェットロープ』だったといいます。
ジミーも彼女にとって初めての挑戦と呼べる作品と。別のインタビューでは、彼女を知りたければこのアルバムに答えがあると言っている。これまでの作品と比較するとキャッチーさも高くないしダークな雰囲気もありアルバムセールスはおちるけど、アーティスト性はめちゃくちゃ高い。すごい黒いし。だから黒人層からはすごく受けた作品でもあると思う。そして、レネ・エリゾンドの共作クレジットも多数載ってるアルバム。
この後、レネとの件もおちつき心機一転、音楽活動を再開。ここにきてまだこんなキャッチーなアルバムを作ってしまうのかという2001年の『All For You』。
ふっきれてめちゃ明るい35歳のジャネットがここにいる。このアルバムも大ヒット。「Does't Really Matter」と「All For You」という大ヒットNo1シングルを生む。
エピソード4 All Of Me 2004年(38歳)~ 2022年(56歳)
そして、今回のドキュメンタリー番組の制作のきっかけの要素の一つとなっていると思っている2004年のスーパーボウルでの胸の露出事件についてふれられる。イン・シンクのフロントマン、ジャスティン・ティンバーレイクがソロ活動を開始したタイミングでのジャネットの共演、それもこのスーパーボウルの舞台で。ジャネットもこれまで2回打診を受けていたみたいだけど、世界ツアーに出ていてスケジュールがあわなかった模様。3回目にして初めてこの舞台に立つ。(兄マイケルの1993年のショーも伝説の一つ)この時の映像は、今でも普通に見る事ができますが、歌の最後にジャスティンがジャネットの胸の辺りの服を引きちぎって、乳首が露出、同時に花火があがってライトダウンで終幕という。
この後にジャネットの新作が出る。本来ならこのスーパーボウルが最高のプロモーションになるはずだったのに、最悪のタイミングで、自身のミドルネームを冠したアルバム『ダミタ・ジョー』が発表される。
このアルバムもジャム&ルイスが中心になるも、弟子のAvil BrothersやBabyface、カニエ・ウェスト、ダラス・オースティン等、多彩なトッププロデューサが集う話題作。これまでにない多彩な顔ぶれが参加したアルバムですが、レトロな恋愛映画のサントラのような趣でまとまっている。(ただダラスの先行シングル「Just A Little While」はアルバムカラーと全然違うけど)しかしジャネットへの逆風は吹き荒れアルバムもPOPで初めて1位をとれず2位。たいしたシングルヒットもでない状況になります。シーンからほされる状況になります。グラミーで楽曲ノミネートされるも賞からも招待されなかったという事も今回初めて知った。このスーパーボウルの事件後、シーンはジャネットの存在を無視していたと発言するザ・ルーツのクエストラヴ。たしかにその印象は持った。
2003年末、兄マイケルに二度目の疑惑がかけられ、また捜査がはいる。うったえた家族はハリウッドでも有名なたかり家族なのですが、またマイケルは世から疑惑の目で見られる(2005年に裁判で完全無罪の判決がくだりますが)。下記の書籍はマイケルに無実の判決が下るまでの流れが詳細に記されています。
マイケル・ジャクソン裁判 あなたは彼を裁けますか? (P-Vine Books)
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- メディア: 単行本
このマイケルへのネガティブキャンペーンは、93年から始まったと思います。この2度の裁判は、ほんとうに茶番のようなものなのですが、世の中には正しく伝わらず、マイケルへネガティブな思いをもつ人を生み出した。成功者を讃えるより、貶めて楽しむ貧しい心を持った人がいるのです。成功しすぎた黒人アーティスト、ビートルズの版権も所有するマイケルに対して反感をもつものもいた。この流れがジャネットにも及んだのか。姉のリビーも「見えない力が働いているように思った」と述べているのがすごく印象的。
この章の重要人物として、Epi3のエンディングから登場していたジャーメイン・デュプリ。1997年『My Way』でUsherを大ブレイクさせてTop プロデューサーの一人となる。
その彼もある意味憧れのアーティストでもあったジャネットをJam&Lewisとともに手がける事になる。『コントロール』20周年を記念してのタイトル『20 Y.O.』で、これまでのジャム&ルイスではなく、デュプリのTasteがどう絡むかもめちゃ期待しての1枚でした。スーパーボウルの出来事を払拭すべく短いインターバルでアルバムも発表した感。
ただ『コントロール』の20周年と謳ってる割には、あのエッジ感がぜんぜんない。ジャム&ルイスとDupriの融合もぜんぜんはまってなかった。このアルバムは、ネリーとの「Call On Me」がR&BでNo1ヒットになったのが印象に残る程度で、アルバムチャートも今回も1位を獲得できず2位、ミリオンにも到達しない結果になります。
Dupriはヴァージンレコードのプロモ不足を非難し、彼自身もヴァージン傘下の自身のレーベル、ソー・ソー・デフ・ジャムごと、アイルランドレコードへ移籍する事態もとなります。ただヒットしなかったのはプロモ不足ではなく作品のクオリティーにあると思うのだけど。個人的にもこのアルバム聞いてないわ~。
『20 Y.O.』がシーンに受け入れられなかったことは、ジャネットも正直、あせった部分はあると思う。それ以上にDupriが責任を感じていた気がする。Dupri主導の元、2008年、LAリード主催のユニバーサルミュージックから『Dicipline』を発表。
このアルバムは、初めてジャム&ルイスのクレジットがない作品となります。総指揮はデュプリがとる。前作は、大御所でもありリスペクトするジャム&ルイスに遠慮した部分もあったのか。今回、マイケルも手がけたロドニー・ジャーキンスも招き、素晴らしい作品に仕上がったと思う。ジャネットはサウンド面はほとんど関わっていない。久々にアルバムチャート1位に輝くも、失速も早かった。シングルの大ヒットが出ない。ジャネットもデュプリのことをソウルメイトと評していたし、結婚もカウントダウンだったけど破局。
その理由をデュプリもゲラゲラ笑いながら語ってるけど。なんか品がないな。デュプリとの恋のエピソードはあまり入れ込めなかった。7年もつきあったんだな。恋多きジャネットだけど、ここにきて振り返るとレネ・エリゾンドとの関係性が一番よかったんじゃないかなって思ってしまう。
そして2009年6月25日、This Is It ツアーを控えていたマイケルの突然の訃報。Epi3でも語られていたけど、晩年、マイケルとは頻回に合うような状況ではなかった。ただ裁判の時は、ジャクソンファミリは一丸となってマイケルを守った。マイケルの死という現実をとらえる事も難しくただただ悲しみにくれるジャネット。母、キャサリンもマイケルの死についてのコメントを求められるも、言葉を発することができず涙する姿もつらかった。
恋多きジャネット、離婚した女性が、結婚はこりごりという言葉を聞くことがあるけど、ジャネットは恋をし続ける。2012年カタールの大富豪、ウィサム・アル・マナアラブとの結婚結婚、2017年に50歳にしての超高齢出産、そして離婚。彼とのエピソードは深く触れられず。イスラム教にも改宗してるんだよね、ジャネット。この辺りのエピソードを盛り込むともう1章できそうな感じだけど。ただ50歳にして母になったジャネットの変化は本人も率直に語っている。そして、ジャネットは母親業とツアーの両立をこの年齢で行っていくのです。
このドキュメントではふれられていませんが、2015年に久々のジャム&ルイスとの作品『Unbreakable』を発表。ジャム&ルイスとの作品はもうないかと思っていたので、かなりときめいた。久々のジミー、テリー、ジャネットの3人のみのクレジットが主になっている。『Rhythm Nation』期の機材も使ったり、かつてのようなメロディーのキャッチーさはうすいのだけど、リリックも深く、スピリチュアルな感触もあって聞き応えがある大人のアルバム。
アルバムタイトル「アンブレイカブル」は亡きマイケルの最後のソロアルバム『Invincible』の1曲目をかざる曲と同タイトル。マイケルはこのハードエッジなFunkナンバーで「お前達がどれだけかかってこようが、オレをうちのめすなんて不可能だ」と歌ったけど、ジャネットがこのアルバムにこめた思いは「絆」だった。ファンとの絆、マイケルとの絆、神との絆、これらを壊すなんてなんてぜったいにできない。とても神聖で永遠に続くものだからと。そしてニューアルバムを率いてまた世界ツアーにも出て、私もこの時の大阪公演に行き、ジャネットの愛を感じました。
ジャネットのアルバムは、この後出ていません。『Black Diamond』という作品が出る話を実際にジャネットもしていましたが、現在どうなっているかわかりません。
長年拒まれていたロックの殿堂入りの道を開いたのがジャネットを愛しているファンとアーティストの声だった言う事も知った。SNSの声がジャネットの復活を後押しした。選考委員のクエストラヴも相当尽力した事を知る。彼は素晴らしい人だな。ただこのロックの殿堂ってどれだけの影響があるのかよく知らないし、ロックというものをわかっていない連中が独善的に選んでるというアーティスト側の声もあるし、受賞しても式に出ないロックなアーティストもいる。ただ一般的に、受賞しているアーティストがハンパないのでこの中に加われるというのはかなりの名誉なことだと思う。2004年からシーンから無視されていたというジャネットの状況はこの出来事で終止符をうたれたと思う。この殿堂入りという一大エピソードでこのドキュメントは終幕となる。
ジャネットは音楽シーン、エンタメシーンに多大な影響を及ぼした。実績的にはジャネットを上回る世紀のディーヴァ、マライア・キャリーもこのドキュメントに出演しジャネットを称賛している。特にR&Bでの影響は計り知れない。90年代以降に登場してきたアーティストでジャネットの影響を受けていない人はいないと思う。日本の音楽シーンにも影響を与えた。さらに次世代の女性アーティスト達の声を聞くと、ジャネットの生き様にも勇気づけられている。ビヨンセも登場して欲しかったな。(MTVのIconではデスチャとしてメッセージを送っていたけど)今回のドキュメントをジャネットの影響力をあらためて認識した。
そして、ジャネットが最後に感謝を述べた人は父のジョーだった。ジョーは2018年に89歳でガンで亡くなっている。父の支配から抜け出したいと思っていたジャネットが、最後に父が居なければ今の自分はいないという言葉で締める。厳しい人ではあったと思うけど、その愛は家族全員が感じていたんだな。マイケルもきっと同じ思いに違いない。このドキュメント番組で、父、ジョゼフの存在はとてつもなく大きく感じた。そして、最後に父ジョーとマイケルに捧げるというクレジットがはいる。
かなり見ごたえのあるドキュメント番組。4つのエピソードに分けられ、約3時間にも及ぶ。しかし、ジャネットファンだったら一気見できる濃い内容。さらにマイケルのエピソードやレア映像もあるので、必見。ジャム&ルイス好きものめり込む内容。
そして、2024年3月、58歳になるジャネットがこの日本にまたやってきてくれる。きっと母親としてもしっかり役割をはたしているのだと思う。今や生けるレジェンドとなったジャネットを是非体感してください。
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この章の重要人物として、Epi3のエンディングから登場していたジャーメイン・デュプリ。1997年『My Way』でUsherを大ブレイクさせてTop プロデューサーの一人となる。
その彼もある意味憧れのアーティストでもあったジャネットをJam&Lewisとともに手がける事になる。『コントロール』20周年を記念してのタイトル『20 Y.O.』で、これまでのジャム&ルイスではなく、デュプリのTasteがどう絡むかもめちゃ期待しての1枚でした。スーパーボウルの出来事を払拭すべく短いインターバルでアルバムも発表した感。
ただ『コントロール』の20周年と謳ってる割には、あのエッジ感がぜんぜんない。ジャム&ルイスとDupriの融合もぜんぜんはまってなかった。このアルバムは、ネリーとの「Call On Me」がR&BでNo1ヒットになったのが印象に残る程度で、アルバムチャートも今回も1位を獲得できず2位、ミリオンにも到達しない結果になります。
Dupriはヴァージンレコードのプロモ不足を非難し、彼自身もヴァージン傘下の自身のレーベル、ソー・ソー・デフ・ジャムごと、アイルランドレコードへ移籍する事態もとなります。ただヒットしなかったのはプロモ不足ではなく作品のクオリティーにあると思うのだけど。個人的にもこのアルバム聞いてないわ~。
『20 Y.O.』がシーンに受け入れられなかったことは、ジャネットも正直、あせった部分はあると思う。それ以上にDupriが責任を感じていた気がする。Dupri主導の元、2008年、LAリード主催のユニバーサルミュージックから『Dicipline』を発表。
このアルバムは、初めてジャム&ルイスのクレジットがない作品となります。総指揮はデュプリがとる。前作は、大御所でもありリスペクトするジャム&ルイスに遠慮した部分もあったのか。今回、マイケルも手がけたロドニー・ジャーキンスも招き、素晴らしい作品に仕上がったと思う。ジャネットはサウンド面はほとんど関わっていない。久々にアルバムチャート1位に輝くも、失速も早かった。シングルの大ヒットが出ない。ジャネットもデュプリのことをソウルメイトと評していたし、結婚もカウントダウンだったけど破局。
その理由をデュプリもゲラゲラ笑いながら語ってるけど。なんか品がないな。デュプリとの恋のエピソードはあまり入れ込めなかった。7年もつきあったんだな。恋多きジャネットだけど、ここにきて振り返るとレネ・エリゾンドとの関係性が一番よかったんじゃないかなって思ってしまう。
そして2009年6月25日、This Is It ツアーを控えていたマイケルの突然の訃報。Epi3でも語られていたけど、晩年、マイケルとは頻回に合うような状況ではなかった。ただ裁判の時は、ジャクソンファミリは一丸となってマイケルを守った。マイケルの死という現実をとらえる事も難しくただただ悲しみにくれるジャネット。母、キャサリンもマイケルの死についてのコメントを求められるも、言葉を発することができず涙する姿もつらかった。
恋多きジャネット、離婚した女性が、結婚はこりごりという言葉を聞くことがあるけど、ジャネットは恋をし続ける。2012年カタールの大富豪、ウィサム・アル・マナアラブとの結婚結婚、2017年に50歳にしての超高齢出産、そして離婚。彼とのエピソードは深く触れられず。イスラム教にも改宗してるんだよね、ジャネット。この辺りのエピソードを盛り込むともう1章できそうな感じだけど。ただ50歳にして母になったジャネットの変化は本人も率直に語っている。そして、ジャネットは母親業とツアーの両立をこの年齢で行っていくのです。
このドキュメントではふれられていませんが、2015年に久々のジャム&ルイスとの作品『Unbreakable』を発表。ジャム&ルイスとの作品はもうないかと思っていたので、かなりときめいた。久々のジミー、テリー、ジャネットの3人のみのクレジットが主になっている。『Rhythm Nation』期の機材も使ったり、かつてのようなメロディーのキャッチーさはうすいのだけど、リリックも深く、スピリチュアルな感触もあって聞き応えがある大人のアルバム。
アルバムタイトル「アンブレイカブル」は亡きマイケルの最後のソロアルバム『Invincible』の1曲目をかざる曲と同タイトル。マイケルはこのハードエッジなFunkナンバーで「お前達がどれだけかかってこようが、オレをうちのめすなんて不可能だ」と歌ったけど、ジャネットがこのアルバムにこめた思いは「絆」だった。ファンとの絆、マイケルとの絆、神との絆、これらを壊すなんてなんてぜったいにできない。とても神聖で永遠に続くものだからと。そしてニューアルバムを率いてまた世界ツアーにも出て、私もこの時の大阪公演に行き、ジャネットの愛を感じました。
ジャネットのアルバムは、この後出ていません。『Black Diamond』という作品が出る話を実際にジャネットもしていましたが、現在どうなっているかわかりません。
長年拒まれていたロックの殿堂入りの道を開いたのがジャネットを愛しているファンとアーティストの声だった言う事も知った。SNSの声がジャネットの復活を後押しした。選考委員のクエストラヴも相当尽力した事を知る。彼は素晴らしい人だな。ただこのロックの殿堂ってどれだけの影響があるのかよく知らないし、ロックというものをわかっていない連中が独善的に選んでるというアーティスト側の声もあるし、受賞しても式に出ないロックなアーティストもいる。ただ一般的に、受賞しているアーティストがハンパないのでこの中に加われるというのはかなりの名誉なことだと思う。2004年からシーンから無視されていたというジャネットの状況はこの出来事で終止符をうたれたと思う。この殿堂入りという一大エピソードでこのドキュメントは終幕となる。
ジャネットは音楽シーン、エンタメシーンに多大な影響を及ぼした。実績的にはジャネットを上回る世紀のディーヴァ、マライア・キャリーもこのドキュメントに出演しジャネットを称賛している。特にR&Bでの影響は計り知れない。90年代以降に登場してきたアーティストでジャネットの影響を受けていない人はいないと思う。日本の音楽シーンにも影響を与えた。さらに次世代の女性アーティスト達の声を聞くと、ジャネットの生き様にも勇気づけられている。ビヨンセも登場して欲しかったな。(MTVのIconではデスチャとしてメッセージを送っていたけど)今回のドキュメントをジャネットの影響力をあらためて認識した。
そして、ジャネットが最後に感謝を述べた人は父のジョーだった。ジョーは2018年に89歳でガンで亡くなっている。父の支配から抜け出したいと思っていたジャネットが、最後に父が居なければ今の自分はいないという言葉で締める。厳しい人ではあったと思うけど、その愛は家族全員が感じていたんだな。マイケルもきっと同じ思いに違いない。このドキュメント番組で、父、ジョゼフの存在はとてつもなく大きく感じた。そして、最後に父ジョーとマイケルに捧げるというクレジットがはいる。
かなり見ごたえのあるドキュメント番組。4つのエピソードに分けられ、約3時間にも及ぶ。しかし、ジャネットファンだったら一気見できる濃い内容。さらにマイケルのエピソードやレア映像もあるので、必見。ジャム&ルイス好きものめり込む内容。
そして、2024年3月、58歳になるジャネットがこの日本にまたやってきてくれる。きっと母親としてもしっかり役割をはたしているのだと思う。今や生けるレジェンドとなったジャネットを是非体感してください。
★DVDもついたこの作品は超おすすめ!
ジャネット・ジャクソン ジャパニーズ・シングル・コレクション-グレイテスト・ヒッツ- (SHM-CD)(2枚組)(DVD付)(特典:なし)
- アーティスト: ジャネット・ジャクソン
- 出版社/メーカー: Universal Music
- 発売日: 2022/08/24
- メディア: CD
こんにちは!
昨年からマイケルのファンになった者です(体育の授業でスリラーを踊った者です)
3/20のジャネットのライブに参戦します!そのための予習を、と思い彷徨っていたらなんとこちらに辿り着きました。
初めamber35さんと気付かず、ジャネットファンにもamber35さんみたいな方がいるのね、勉強になるわーと読んでいたら、同じ方でびっくりしました〜。
実はわたくし人生でライブというものに初参戦で、何を予習したら良いかもわからず、しかもジャネットの曲もまだ全然聴けておらずなんです。この一年マイケルばかり聴いておりました。
セットリスト的なものは聴き始めているものの、それだけで合っているのか、どうしたらちゃんとジャネットのライブを堪能できるのか不安しかありません。
もしできましたら、これだけは押さえるべき!!というポイントを教えて頂ければ幸いです。因みに一人で参戦するので、経験者のサポートナシです…。
こちらで紹介されているジャネットのドキュメンタリーは観ました。これを観て、ジャネットの声に魅力を感じたのと、正直なところマイケルの面影をどこかに少しでも感じられたらという思いで今回ライブに行こう!と思った次第です。
図々しいお願いで申し訳ありません。
もしご迷惑でなければどうぞよろしくお願いします。
by アンバー (2024-03-06 18:01)
ジャネットのLiveに行かれるのですね!それも初Live、いいですね。
私も、Favアーティストからそんなに詳しくないアーティストのLiveにも行くことがあります。(一人で行くことが多いです)詳しくない邦楽アーティストは、けっこうお決まりのレスポンスとかあるみたいで、よくわからない時もありますが、周りをまねしてやってます(笑)
Janetは大きな会場なので、すごい人でしょうね。Kアリーナ横浜は、音響も考えて建設されたアリーナのようなので、その辺も期待ではないでしょうか。
Liveを楽しむには、やはりそのアーティストの曲を知ってた方がぜったい楽しめると思います。ジャネットはMJ同様、音と映像が一体となって表現するアーティストなので代表的なMVも見てたら楽しめると思います。だってMVのDanceや世界観が目の前のステージで展開するのですから最高です。
手前味噌ですが、このBlogのジャネットカテにジャネットのDiscographyや2015年のLiveレポもあるので参考にしてもらえればうれしいです。初めてのジャネットLiveなら、個人的には過去のLive映像は見ない方がいいかなという気がします。今回Liveを見てから、過去のLiveを見る方が良いと思います。
今回は新作をひっさげてのツアーではないので、過去のヒット作がてんこ盛りじゃないかと思います。スクリームもしてくれるんじゃないですかね。
おすすめベスト盤は下記です。
ジャネット・ジャクソン ジャパニーズ・シングル・コレクション-グレイテスト・ヒッツ MVもほぼ収録されていて3800円はお得かと思います。
こんな感じですかね。参考になれば。
by amber35 (2024-03-07 00:09)
こんばんは!
お返事ありがとうございました!
あれからジャネット・ジャクソン ジャパニーズ・シングル・コレクション-グレイテスト・ヒッツを購入しました〜。
ジャネット、可愛いですね〜!
予習頑張ります☆
by アンバー (2024-03-11 20:46)
お~買われたのですね。 ジャネットのヒット曲の音源とMVがもれなく収録されているので、まちがいないです。
ライブ楽しみですね。
また感想聞かせてもらえたらうれしいです。
by amber35 (2024-03-15 00:19)
こんにちは!
ジャネットのライブ行ってきました
もう、本当に、行ってよかったです!
席はLEVEL5の下手側後方でした。
どんなに豆粒かと心配しましたが、思っていたより見えました。ダンスのキレは肉眼でもわかりました。
モニターはあまり大写しにせず、表情はあまりわかりませんでした。ジャネットの指示なのかしら??
ジャネットが会場にマイクを向けるシーンが何度かありましたが、しっかり歌えず残念…まだまだ予習不足でした。
声が変わらずに可愛くて、ダンスも踊れていて、なんてパワフルな57歳!あっという間の2時間でした。
音響が良いと聞いていたKアリーナですが、他との比較ができないのですが、私の感想としては少し音が割れる印象でした。良いお席は違うのかな?あとちょっと音大きすぎかな、と。ほんの少し下げてくれた方が、色んな音が聴き取れるかなと思いました。体に響く大音量、楽しかったです。
マイケルの面影は、感じるシーンは無かったです(笑)。面影ではなく、この人と一緒に育ったんだな、とかそんなことをライブ中に考えていました。そしてジャネットは今もライブができるのに、どうしてマイケルが今もういないのか…って悲しくなりました。本人こそ悔しく思っているよね…とか。
本当に大満足のライブでしたが、感情としては、マイケルがもういないこと、もう会えないことを実感してしまう寂しさが大きかったです。
因みに、スクリームは興奮しすぎてあっという間でした。失神する気持ち、わかる気がしてしまいました(笑)
クラシック音楽やバレエとは全然違う体験でした。もっと能動的でテーマパークみたいでした!また行きたいです♪誰のに行こうかな~。オススメあったらぜひ教えてください!「推しに会いに行く」をやってみたいと思っています。
長々と失礼しました。
またamber35さんの記事を楽しみにしています☆
いろいろ教えてくださりありがとうございました。
by アンバー (2024-03-24 16:34)
Kアリーナ、広かったですね。Xでも記しましたが2015のインテックス大阪との比較になってしまうのですが、場所もあると思いますが、私的には前回の方が音もよかったです。
今回のツアーは、2015と『Unbreakableツアー』のニューアルバム発表後のメッセージ性あるツアーとは違い、レジェンド・ジャネットを魅せるツアーだったと思います。たくさんの楽曲を聴けたのはうれしい反面、その分1曲1曲が短く、のってきたと思ったら次の曲に入ってしまうという感じもまりました。
スクリームは、2015の時はジャネットは自分のパートしか歌わなかったので、今回のように映像と音によるDuoは感動的でした。会場もすごく盛り上がっていましたね。
これまで音楽シーンで、多くのダンスアーティストはいましたが、57歳にしてここまで歌って踊れるアーティストはいなかったと思います。ジャネットはまさにこれからも生きるレジェンドとして進み続けるのだと思います。
参考になってよかったです。感想ありがとうございました。
by amber35 (2024-03-28 23:33)