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◆ About Jam&Lewis [About Jam&Lewis]

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 1 ジャム&ルイスについて

 ジミー・ジャム&テリー・ルイスは私の一番好きなプロデューサー、コンポーザーです。もともとプロデューサーというもの
は、アーティストの陰に隠れた縁の下の力持ち的な存在ですが、ジャム&ルイスは、ある種ジャム&ルイス・ブランド的なものを確立したほど、プロデューサーというものの地位を高めたように思います。そして、それは今のブラック・ミュージックのテクノロジーを駆使したよくもわるくも打ち込み式のサウンドスタイルの確立でもあったように思います。
 音楽好きな人でないとプロデューサーというものは馴染みがないと思います。広義の意味では、アーティストの曲を手がける人。コンポーザーを決め、ミュージシャンを集め指揮していく。
 最近の音楽プロデューサーは、自分で曲を作り、演奏もし、リズムアレンジもし曲を仕上げるという感じです。80年代後半になって彼らのようなプロデューサーが注目されてきたのは、テクノロジーの進歩により、少人数で(それこそ一人でも)曲を仕上げることを可能したからだと思います。アーティストの陰に隠れていたプロデューサーが、アーティストよりも注目されるようになります。
 今のシーンはプロデューサーぬきには語れない。特にそれはブラックミュージックにおいて強く表れていると思います。日本で音楽プロデューサーという言葉を認知させたのは、小室哲哉氏やつんくかもしれません。
 ジャム&ルイスはもともと、あのプリンスのバックバンド、ザ・タイムのメンバーでした。
 ジミー・ジャムはキーボード、テリー・ルイスはベース担当。彼らはプリンスの本拠地、ミネアポリス(アメリカとカナダの国境付近のミネソタ州の中心都市)で活動していました。当時はプリンスの陰に隠れていたようですが、『THE TIME』(81)『What Time Is It?』(82)を発表。スマッシュヒットも飛ばしコンサートでもプリンスの前座ながら、主役を食ってしまうほどエネルギッシュでファンキーな強力バンドとして注目されます。
 ジャム&ルイスはバンド活動として平行して、収入を得るため外部のプロデュース活動もはじめます(タイムのギャラはプリンスによってけっこう抑えられていた模様)。83年、その中である出来事がおきます。
 彼らが特に力を注いでいたSOSバンドのアルバムを製作中のことです。翌日にタイムのコンサートがあったのですが、大雪に見舞われコンサート地にいけず、穴をあけてしまうのです。
 当初、プリンスは女性関係のもつれで彼らが遅れたと思っていたようで大目に見たようですが、実はプロデュースをしていたという事実を知り、これに激怒。プリンスにおおいに影響を受けてサウンドを作っていたジャム&ルイス、そのノウハウが外部に流出するのも好ましく思っていなかったプリンスは、ついに彼らをバンドから脱退させます。最初は、ジミーだけをやめさせるような話だったそうなのですが、テリーが「彼をやめさせるならオレもやめる」という感じで脱退。ここにジャム&ルイスのさらなる強い絆が生まれるわけです。
 ただこの解雇で、退路を断たれた事で、彼らは必然的にプロデュース業に専念していく事になります。プリンスの影響は受けたとは言え、その後は、そのプリンスをもこえるサウンドアプローチをしていくジャム&ルイス。コンサートをキャンセルしてまで完成させたSOSバンドの『On The Rise』からのファーストカットのうねりのきいたファンクチェーン「Just To Be Good To Me」がR&Bで2位の大ヒット、ここからプロデューサー・チームとしての大躍進が始まるのです。
 SOSバンドで自分たちのアプローチ法に確信を持った彼らは、86年、ジャネット・ジャクソンの『コントロール』でのPOPチャートでもメガヒットをし、その年のグラミー賞の最優秀プロデューサーを受賞。それまでクインシー・ジョーンズに象徴されるように、有能なミュージシャンと生楽器を統率し、抜群のリズムアレンジでプロデュースをしたスタイルから、テクノロジーを駆使し、少人数でも生楽器のグルーブに引けを取らない、いやある意味それ以上のグルーブを生み出すスタイルへと移行していきます。その後、ジャム&ルイスは現在までビルボードHot-100で16曲ものNo1曲をうみだしたNo1プロデューサーとなるのです。
  彼らは妥協することなく、斬新なサウンドとすばらしい楽曲を提供し続けてくれています。ヒットすることがすべてではありませんが、現在ビルボードNo1獲得は16曲で、歴代プロデューサーの中でも3位のポジション。R&BプロデューサーとしてはNo1です。(R&Bチャートでは35曲のNo1ソングを持つ)そして、グラミー賞のプロデューサー・オブ・ザ・イヤーのノミネーションも9回。(86年は受賞!)そして今でも彼らは現役で、その研ぎ澄まされた感性を維持し続けているのです。

 2 ジャム&ルイスの魅力

 ジャム&ルイスのサウンドは、テクノロジーを駆使したいわゆる打ち込み中心のサウンドです。リズム・プログラミングと様々な楽器のかわりとなるシンセサイザー、サンプリング・キーボード(ミラージュ)、ドラムマシーン(TR-808)テクノロジーの進化によりミュージシャンを集めなくても少人数で思い通りの斬新なサウンドを創ることを可能にしたのです。



 しかしいくらテクノロジーが進歩しようと、結局は使い手のセンスです。彼らはけっして機械に振り回されることなく、テクノロジーを最大限、有効に利用し自分たちの音楽を表現するのです。
 もとがミュージシャンというのも大きいでしょう。彼らはいつも生の演奏のスタイルの重要性も忘れることはありませんでした。それが彼らのサウンドを機械的な冷たいものにせず、逆にヒューマンチックなものにしていると思います。そして、彼らの書く曲もすばらしい。バラッド、ファンクチューン、最高のメロディーに最高のサウンド。おれはどれほど、彼らの曲に癒されたことか。
 80年代後半から90年前半は、ジャム&ルイス、LA&BABYFACE、テディ・ライリーのいわゆる御三家がブラック・ミュージックシーンをひっぱっていきました。ベビーフェイスやテディは、よくも悪くもアーティストを自分の色にそめるプロデュース・スタイルでした。
 しかし、ジャム&ルイスはちがいます。彼らのプロデューサーとしてのスタンスがすばらしい。アーティストをてがけるとき、まずじっくり話し合うのです。それは音楽の話だけでなく、幅広く。そして友人となり、お互い理解し信頼してから作品を手がけていきます。そして、アーティストの魅力を最大限に引き出すための、コンセプト、サウンド・プロダクトを組んでいきます。プロデューサーの鏡ですよね。幅広い表現力をもっているからこそ、その広い引き出しの中からアーティストにあった曲を作っていくのです。ですから彼らとアーティストサイドががっちり組んだアルバムは非常にパーソナルな内容のように思います。
 雑誌とか読むと、ジミー・ジャムは新しいもの好きで快活、でもけっこう1人を好む人みたい。逆にテリー・ルイスはおちついたよき家庭人だそう。全然人生観、性格がちがうみたい。ジミー・ジャムは「おれが女だったらテリーと結婚してる」っていうくらい彼らは息があってるそう。アーティストによっては、お互い分担してやることもあるらしい。彼らは音楽を心から愛する、人間的にも素敵な人たちだと思う。

3 ジャム&ルイスとジャネット・ジャクソン

 ジャム&ルイスはほんとものすごいアーティストを手がけています。しかしこれが同じ人がつくったものなのか?と思うくらい幅ひろいのです。R&Bだけでなく、ゴスペル、ポップ、ロック、レゲエ、ヒップホップ。そのサウンドの幅広さに驚かされる。
 手がけたアーティストも、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、ボーイズⅡメン、ビヨンセ、アッシャー、ニューエディションの面々。ジョージ・マイケル、TLC、、メアリー・J・ブライジ。スティングやロッド・スチュアート、グエン・ステファニー(No Dought)、シャギー、ビヨンセetc
 日本のアーティストも手がけ、宇多田ヒカルちゃんの「Addicted To You」「Wait&See リスク」は日本国内でもミリオンセールス。
 
 そしてその中でも、ジャネット・ジャクソンとの作品は重要です。日本の一般のリスナーもジャネットの曲が好きな人は多いと思います。でも意外と裏方であるジャム&ルイスの名前を知っている人は少ないようです。ジャム&ルイスの生み出したビルボードNo1曲は16曲あると述べましたが、その内、9曲がジャネットの曲です。
 そのジャネットを初めててがけた86年の『コントロール』は、ジャクソンという呪縛からジャネットを開放し、アーティストへの脱皮をはたした見事な作品でした。この年、グラミーの最優秀プロデューサーも獲得。彼らの地位を不動のものとします。
 そして89年の『Rhythm Nation1814』最新テクノロジーを駆使した最先端サウンド。緊張感があるのだけど、あたたかさもある。リズムをキーワードにPositiveなメッセージ色をうちだし、その壮大なコンセプトに押しつぶされることなく見事につくりあげます。この頃から、ジャネットはより自分のカラーを打ち出していったと思います。そして今度は彼女にインスパイアーされて、ジャム&ルイスもNextレベルへと進化していった。
 破格の移籍金でうつったバージン・レコードで93年発表された『Janet.』。前作から一転して、Loveを前面にうちだしてつくられたすばらしいアルバム。そして、97年の『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』。そろそろアイデアつきるだろうと思ったら、まだこんなことができるのっていうサウンド。すごいクールでアヴァンギャルド。ジャネットがまた次のレヴェルにいく為に通らなければならなかったアルバム。よりアーティスト指向を強めた感じがしました。そして2001年『All For You』を発表。ここからも2枚のNo1ソングを生み出すと同時に、2000年に入ってもジャネットとジャム&ルイスの力量は健在です。
 2015年には『Unbreakable』で再び三者は集う。ジャム&ルイスの絆は不滅だと思います。

 このBlogでは、他でまとめていたジャム&ルイスの記事を、カテゴリーを作り見やすくするために引越ししました。Jam&Lewisプロデュース作品を軸に、彼らに関連するアーティストも紹介していきます。過去記事がベースになりますが、それらを再整備していきます。そしてその中にプリンスもいます。 

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