USAで1月24日(2017年)に放送されたNEW EDITION(ニューエディション)の伝記ドラマが高視聴率を獲得。初回放送の視聴者数は、420万人だそう。(日本語字幕付で見てみたい)ニューエディションは、R&B好きならマストなR&Bのスーパーグループです。1983年にデビューした彼らは、当時14~15歳のティーンエイジャー。現在は、アラフィフのおじさんですが、デビューから35年を経てもこうして注目されているのはそれなりの理由があります。
R&Bシーンにおいて、70年代はマイケル・ジャクソン率いるジャクソン・ファイブがティーンエイジャーのアイドル的な存在でしたが、80年代に長らく不在だったこのポジションに登場したのがニューエディションでした。ジャクソンファイブから続くバブルガムソウルの系譜を彼らが引き継いだのです。
ジャクソンファイブは、マイケル・ジャクソンという世紀のスーパースターと兄弟たちとの抜群のコンビネーションで、良い曲を歌い、踊りヒットを連発しスーパーグループとなりますが、ニューエディションはちょっと違います。80年代に頂点を極めたボビー・ブラウンが在籍したグループという事で紹介される事も多いですが、ニューエディションが伝説的なグループといえるのは、グループとしてのヒットもさることながら、さらにメンバー全員が輝かしいソロヒットを生んだ事によると思います。母体のNEとは別に、メンバー各々がヒット曲をもつ、それもR&BだけではなくPOPチャートでも(←ここ大事)ビックヒットを持つという所がかつてない事なのです。そして80年代のニューエディションのスタイルが90年代の音楽シーンに多大な影響を与え、R&Bのヒップヒップ化、ボーカルグループムーブメントをおこした。
◆ NEW EDITION(ニューエディション)はなぜスーパーグループと言われるのか!? 彼らを支えた Top Producer たちを絡めて語る [NEW EDITION]
1988年6月、MCAから同一日に発売されたNew Editionの『HERAT BREAK』とNEから独立していたボビー・ブラウンの2nd『Don't Be Cruel』の2枚は、シーンに強烈なインパクトを与え、その後のR&Bの流れを作ったエポック・メイキングな作品となりました。
そしてこの2枚のアルバムに関わったProducerがJimmy Jam & Terry Lewisであり、
LA&BABYFACEとTeddy Rileyだったわけです。
さらにその後のメンバーのソロプロジェクトを手がけたのも、やはりJam&LewisでありLA&BABYFACE、Teddyだったのです。
ですのでニューエディションと各メンバーのアルバムを押さえれば、80年代後半から90年代(前半から中盤)のR&Bシーンがわかります。逆にあの最高に勢いのあった当時のR&Bシーンを知らずに現在(いま)も語れないわけです。
それでは実際に彼らのヒット曲とProducerをまとめてみたいと思います。(ヒットの基準として、R&Bは3位以内、HOT100はTOP10ヒットにしました)
まずNEから離れ、いち早くソロ活動を開始したボビー・ブラウンです。
NEのリーダーでリードボーカルは、ボビーではなくラルフ・トレスヴァントでした。実はボビーはセカンドボーカルのポジションだったのです。さらにNEは正統派ボーカルグループの系譜も担っていましたが、ボビーのベクトルはストリートに向いていた。これもボビーの時代の嗅覚を読むすごさでもあります。
Girl Friend (R&B-1位/HOT100-57位) (87)
Don't Be Cruel (R&B-1位/HOT100-8位) *LA&BABYFACE (88)
My Prerogative (R&B-1位/HOT100-1位) ☆Teddy Riley
Roni (R&B-2位/HOT100-3位) *LA&BABYFACE
Every Little Step (R&B-1位/HOT100-3位) *LA&BABYFACE (89)
On Our Own (R&B-2位/HOT100-2位) *LA&BABYFACE
She Ain't Worth It (R&B-43位/HOT100-1位) (90)
Humpin' Around (R&B-1位/HOT100-3位) *LA&BABYFACE (92)
Good Enough (R&B-5位/HOT100-7位) *LA&BABYFACE
Get Away (R&B-3位/HOT100-14位) ☆Teddy Riley (93)
4曲がR&Bで1位。HOT100でも2曲のNo1ソングをうむ(She Ain't WorthはゲストVocalですが)いきなりソロデビューシングル「Girl Friend」がR&Bで1位を獲得しますが、これはNEにも通じるSlowで、ソロデビューアルバムで表現している攻めてるBobbyの楽曲のイメージとは全然違う。カメオのラリー・ブラックマンによる黒い曲や(当時としては先をいく)ラッピンしている曲をもっとフューチャーしたらよかったのにと思う。
2nd『Don't Be Cruel』が全米アルバムチャート1位にも輝き大ブレイクします。セールスはUSAでは700万枚を超え、全世界で1,000万枚を以上の売り上げを記録します。さらに当時バカ売れのニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、ポーラ・アブドゥル、ボン・ジョビ、ガンズ・アンド・ローゼズらを抑え1989年の年間1位に輝くアルバムにもなります。R&Bアーティストのボビー、19歳の彼がスーパースターの地位に登りつめる事になるのです。
ここでプロデューサー視点もからめますが、『Don't Be Cruel』はボビーをスーパースターにしただけでなく、手がけたプロデューサー、テディー・ライリーとLA&BABYFACEもトッププロデューサーの地位に押し上げた。この2組のプロデューサーも、ボビーと同様、ビックヒットに飢えていた。彼らのこのアルバムにおけるスタイルはこの後の音楽シーンにも絶大な影響を及ぼします。
この時期、マイケル・ジャクソンの『BAD』もシーンに登場していました。しかし、時代の流れをつかんだのはマイケルとクインシー・ジョーンズではなく、ボビーとテディー、LAFACEでした。Bobbyの最大のシングルヒットは、New Jack Swingの代表格「マイ・プリロガティブ」(89年の年間シングル2位)なので、テディー・ライリーの印象が強いですが、シングル曲のヒットとしてはLA&BABYFACEとの作品が大部分をしめる。
「Don't Be Cruel」「Roni」「Every Little Step」は、ボーカルとラッピンを見事に融合しあらたなR&Bの流れを生み出した革新的な曲。「ロニ」のメロウなSlowにラッピンというのもかなりいかしてた。ボビーも1stアルバムの結果は満足しておらず、2ndアルバムにすぐに気持ちが向き、精神的な鍛錬とボーカルトレーニングも積んでいたらしい。ボビーの歌声は、めちゃくちゃうまいって感じではないけど、ソウル感もあり、エモーショナルな感じもあり、Streetな曲やSweetな曲もうまく表現している。
とにかく曲がいい。Babyfaceが生み出すメロディーも絶品で、ボビーのStreet感とも見事に融合します。シングル化の際は、LA&BABYFACEは新たな機材でProduceしさらに良い仕上がりになっています。まあこの時のボビーの勢いはすごかった。
92年発売の3rd『Bobby』もこの2組が参加します。
シングルのHumpinも音だけ聞いたら、この音圧はTeddyかと思うんだけどLAFACE産なのよね。このアルバムでは、テディー・ライリー色が全開。同時期にマイケル・ジャクソンからお呼びがかかり、テディーも『Dangerous』を手がけるわけですが、ボビーは「マイケルがねらったものは自分の方が出せている」とボビーらしい発言もみました。
そんな中、次に注目されたのが、1996年のボビーも加わったニューエディションのリユニオンでした。一時期NEを離れる決断をした男がそのグループにある意味救われるのです。ボビーは、ソロ作ではジャム&ルイスProduce作がありませんが、96年のリユニオンアルバム『Home Again』で彼らとも出会うことになります。
次はジョニー・ギルです。
88年の『HEARTBREAK』から脱退したボビーの穴を埋めるべく加入、というのが定説ですが、松尾潔著『メロウな季節』(←すばらしい本)によると、ボビーのソロの成功に刺激も受け、フロントマンのラルフ・トレスヴァントもNE脱退を考えており、リードボーカル不在を補うべくジョニー・ギルに白羽の矢がたったと。
しかしラルフは、ボビーにNEに留まるよう説得され、ソロへの思いを一旦胸にしまい、NEの活動を継続することを選んだ結果、ジョニー・ギルとのツインボーカルとなったという事らしい。ジャクソンファイブの系譜も意識する彼らは、5人組というスタイルのバランスの良さをも欲した感じです。
ジョニーは、NE加入前から「大人の歌声を持つ少年」として16歳でデビューをし、ソロ活動をしていたわけですが、当時からティーンとは思えないソウルでDeepな歌声。その歌声と実力は折り紙付きでしたが、子供なのにめちゃくちゃソウルというバランスの悪さみたいなものが微妙に働き、なかなかヒットというものに恵まれなかった。
そんな中、NEWEDITIONから声がかかり、迷いなくメンバーに加わったといいます。ただその時は、リード・ボーカルという事だったので引き受けたのかもしれません。最終的には、ラルフがグループに留まる決断をした事により、この半端じゃない実力派ソウルシンガーがセカンドボーカルのポジションになるのです。しかし、ジョニーとしては、歌える場をもてる事が何よりの喜びだったようです。
Jam&Lewis Produceによる『ハートブレイク』の成功は、ジョニーが前面に出ることなくラルフを支えたことも大きいと思う。しかし、ジャム&ルイスもアルバムのエンディング、シングルにはなりませんでしたが「Boys To Men」というジョニーのVocalの魅力とメンバーのハーモニーがすばらしい楽曲をジョニーのために用意します。ある意味、ジョニー自身の葛藤もテーマにしているのかも。そして、No1シングルにもなった「Can You Stand The Rain」のジョニーとラルフのツインボーカルも素晴らしすぎます。
ジョニーの加入は、NEの新たな魅力を生み、大人のアーティストへの脱皮の大きな一因となった。当初の想定以上の効果も生んだ気がする。元々1990年に発表された『Johny Gill』は『HEART BREAK』前に発売予定だったよう、LA&BABYFACEがメインProducerとなりある程度出来上がっていたようですが、ジョニーのNEの加入が決まり、一旦ソロアルバムの制作は中断し、先にNEでの活動が優先された模様です。
もしジョニーがNEに加入していなかったら、LA&BABYFACE作品だけで発表されていたかもしれませんが『ハートブレイク』で関わったJam&Lewisもジョニーのボーカリストとしての力量に魅了されソロプロジェクトにも参加となり、LAFACEとJam&Lewisが同時参加というシーンにも衝撃を与えた超ゴージャスなアルバムとなったわけです。そしてNEWEDITIONのメンバーになった事により『Heartbreak』の後のジョニーのソロアルバムがさらなる注目を浴びることになります。
Where Do We Go From Here (R&B-1位/HOT100--)with Stacy Lattisaw (89)
Rub You The Right Way (R&B-1位/HOT100-3位) (90) ★Jam&Lewis★
My My MY(R&B-1位/HOT100-10位) (90) ☆LA&BABYFACE
Fairweather Friend(R&B-1位/HOT100-28位)☆LA&BABYFACE
Wrap My Body Tight (R&B-1位/HOT100-84位)★Jam&Lewis★
シングルカットの4曲はすべてR&Bで1位となります。「Rub You The Right Way」は、Jam&LewisがNew Jack Swingのリズムアレンジメントを取り入れた曲で、シーンに見事にマッチしたDance Track。ジョニーがバラードだけのシンガーでない事を見せつけます。そしてジョニー、ダンスもかなりうまい。(生でも見た!)
そして、ジョニーの代表曲として取り上げられる事が多い「My My My」、BABYFACEが見事にジョニーのVocalの素晴らしさを引き出しています。
ジョニー・ギルという最高のSOULシンガーに、Jam&Lewis、LA&BABYFACEも全力で自分たちの才能をぶつけてスパークさせたアルバムだと思います。個人的には、ジャム&ルイス制作の「Boys To Men」レベルのすばらしいバラード曲がないのですが、フライトタイムのランディー・ランのProduce作品が光ります。(サントラ『New Jack City』収録の「I'm Still Waiting」も彼のProduceですばらしい)
ジョニーも、この後1993年に『PROVOCATIVE』(Jam&Lewis,Babyface参加)を発表。ここからはNo1シングルは出ていません。この後も、ソロアルバムを発表し続けています。
次にBell Biv Devoe(ベル・ビブ・デヴォー)です。
裏方メンバー的な、リッキー・ベル、マイケル・ビヴンズ、ロニー・デヴォーの3人で結成されたNEとは別のグループ。3人の名前がそのままグループ名となります。NEの中では、余りもののような感じでの紹介もされることもありますが、実は90年の音楽シーンでメガヒットを記録した。シングルセールス的には、本家のNEよりはるかにすごい。
メガヒットシングル「Poison」「Do Me」はR&Bヒットに収まらず1990年の年間チャートで4位と11位のチャートイン。年間チャートでTop10に入るというのはすごいことです。その年の代表曲になる。チャート的には、90年を代表するヒット曲、マドンナの「Vougue」(5位)、マライア・キャリーの「Vision Of Love」(6位)より「ポイズン」の方が上ですからね。ぶっちゃっけBBDのここまでのヒットを予測した人はいなかったと思う。BBDのスタイルは、ほんとニューエディションとは別モン。完全にStreetに向いている。『HERATBREAK』を手がけたジミーとテリーが、3人のStreet感覚を活かすべきとグループの結成をすすめたというのもナイス!
Poison (R&B-1位/HOT100-3位) (90) ★ミリオン
Do Me (R&B-4位/HOT100-3位) (90)
B.B.D.(I Thought It Was Me)?(R&B-1位/HOT100-26位)(90)
When Will I See You Smile Again?(R&B-3位/HOT100-63位)(90)
BBDのスタイルが、その後の90年代のブラックミュージックの流れを、ヒップホップ化のきっかけを生んだと言ってももいいかもしれません。サウンド的には、BBDのデビューアルバムにに前述の三代プロデューサーは関わっていませんが、90年代Hip Hop R&Bの起爆剤となった「Poison」を生み出したのはDr.Freeze。
Produce買いしたプロデューサーではないですが、カラー・ミー・バッドの「I Wanna Sex You Up」(91年の年間チャート2位)も手がけた。この曲もお気に入り。
さらにマイケル・ジャクソンの『Invincible』でも「Break Of Dawn」というMJの新たな魅力を感じるすばらしい楽曲も提供。さらにMJ死後に発表された『XSCAPE』に収録録された「Blue Gangsta」「A Place With No Name」も彼の作品。
「Poison」はもちろんテディーのNew Jack Swingの影響を受けた曲だけど、Dr.Freezeが彼流に見事に仕上げた。Dr.Freeze話が続くのですが、「Poisin」「I Wanna Sex You Up」というメガヒット曲を生み、その後も斬新なヒット曲を連発するかと思ったら、めっきりクレジットをみなくなるのです。で久々にクレジットを目にしたのが、2001年のMJの『Invincible』でですよ。おれが追えてないのか活動停止していたのかよくわからないのですが、『Invincible』用に提供された「Break Of Dawn」(のみ採用)「Blue Gangsta」「A Place With No Name」はどれもカラーが違う素晴らしい楽曲で、さすがDr.Freezeと思わせる。だからなおさらこの空白期間がなぞで仕方ない。
で本筋にもどりますが、BBDのこのスタイルにも影響を受け、ショーン・パフィー・コムズ(P.Diddy)がメアリー・J・ブライジ、Jodecyをシーンに送り出し、R&Bとヒップホップが融合していきます。さらに、マイケル・ビブンズが発掘したボーイズⅡメンも登場し、彼らもR&BをこえPOPチャートでもメガヒット、シーンを代表するスーパーグループとなり90年半ばのボーカルグループムーブメントも起こっていく。(彼らへのNo1シングルを提供したのも、Jam&Lewis、Babyfaceだったりする)
BBDは1stが強烈すぎて、2nd『Hootie Mack』(Babyface単独曲収録)は失速感は歪めなかったけど、NEは違うスタイルとヒットを生み出した3人はすごい!
さらに最近でも、16年ぶりとなる4th『Three Stripes』を2017年1月27日にリリース(Kaygeeが参加しとるやんけ~)で現役続行中!
最後にラルフ・トレスヴァントです。
NEのフロントマンであるラルフが一番最後のデビューとなります。ソロへの思いを一旦断ち切りNEとして『Heartbreak』という名盤も作り上げた。NEの顔であるラルフだけがソロヒットしないというのはあってはあらない話です。
このアルバムにもLA&BABYFACEも参加予定という話でしたが、スケジュールが合わなかったのか、BABYFACEは参加していませんがLAFACEファミリーからダリル・シモンズとKayoがProduce、ボビー・ブラウンも参加した「Stone Cold Gentleman」もヒット。バラード「Do What I Gotta Do」はとてつもなく切なさを感じるメロディーラインとリリック、ここでもジャム&ルイスはラルフにすばらしいバラード曲を提供している。男のオレが聞いても切なくなるのに、女性ファンはどうだけ~って感じ。
もうひとつのサプライズは、ラルフも憧れるマイケル・ジャクソンから「Alright Now」という曲をプレゼントされている。マイケルが他のアーティストに楽曲を提供するのは相当珍しい。ラルフの繊細なVocalともフィットする素敵なバラード。
2003年の5人での来日LIVE(in福岡ブルーノート)時、右サイドの席だった私、その横をラルフが通るとき、ラルフと言葉がかわす事ができ、「You are Great !」(あなたは偉大だという思いを伝えたかった)っていうと暖かい笑顔で「Oh Thank You」って返してくれました。めっちゃナイスガイって思いました。ラルフがリーダーとして、礼儀もわきまえ努力もし、メンバーの見本となりきっちりグループをまとめていたと思う。
92年には、ジャム&ルイス制作のサントラ『Mo Money』にも招集される。ラルフの新たなテーマソング「Money Can't Buy You Love」というこれまたすばらしい楽曲もR&Bで2位に輝きます。
Sensitivity(R&B-1位/HOT100-4位) (90) ★Jam&Lewis★
Stone Cold Gentleman (R&B-3位/HOT100-34位)guest Rap Bobby Brown (91)
Do What I Gotta Do(R&B-2位/HOT100-54位) (91) ★Jam&Lewis★
Money Can't Buy You Love(R&B-2位/HOT100-54位) (92) ★Jam&Lewis★
ラルフの2nd『It's Goin' Down』(93)でもJam&Lewisは3曲プロデュースします(ビックヒットは出ず)。ラルフの真面目でストイックな姿勢はその体型からもわかります。ボビーがデブ男になるも、ラルフはいまだにこの当時のスタイルを保っている感じ。
こうして90年代に入りソロ活動や別グループでの活動を開始した彼らは、母体のNE以上のビックヒットを放つのです。メンバー全員がここまでのビックヒットを生んだというのはR&BだけでなくPOP、ROCKアーティストもいないと思います。
ニューエディションは、2003年に来日しビルボード系のLIVE会場で公演を行いました。私も福岡に(ブルーノート福岡)いきました。ニューエディションとしてのパフォーマンス、ラルフ、ジョニーのソロ、BBDのパフォーマンス。こんなに盛りだくさんのLIVEは人生の中でもこのLIVEがBest。(その後、08年にジョニー、ボビー、ラルフの3人での来日公演もあり)
90年代半ば、Hip Hop勢の勢いも増し、Vocalグルームブームの中、ボビーも加わった再結成の話は出るのですが、なかなか実現せず。そんな中。1996年にニューエディションの再結成が本当に実現します。こうしてソロで輝かしいヒットを生んだ彼らが再結成するというニュースは当時相当しびれました。5人だけでなく、ボビー・ブラウンも復帰という事がさらに話題となった。ついに6人全員が集ういう事で、このアルバムは当時、あちこちの音楽雑誌で特集も組まれた。
ラルフ、ボビー、ジョニーという3人のボーカリスト、そしてBBDのヒップホップスタイル。第4のボーカリスト、リッキーもいる。これだけのタレントを1枚のアルバムで表現するというのは相当至難の技です。
そしてそれを請け負ったのはやはりジミー・ジャム&テリー・ルイスだったのです。ボビーとジャム&ルイスもついに絡む。ジャムルイだけでなく当時のトッププロデューサーも集ったアルバム『Home Again』はまた紹介できればと思います。
Home Again by New Edition (1996-09-10)
- アーティスト: New Edition
- 出版社/メーカー: MCA
- メディア: CD
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