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◆ Jimmy Jam & Terry Lewis (ジミー・ジャム & テリー・ルイス)がグラミーで最優秀プロデューサーを受賞した意味(1986年のWorksも紹介) [年代別 WORKS]

                                                                                      ORIGINAL 2013.6.5 Up に大幅加筆、修正
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 ジミー・ジャム&テリー・ルイス、通称ジャム&ルイス。これまで紹介したように現役プロデューサーとして最多の16曲のNo1シングルを生みだしています(2013年当時)。R&Bフィールドだけではなく、数多くのアーティストを手がけている彼ら。
 最近、30周年プロジェクトとしてジャム&ルイス名義でアルバムを発表するというNEWSもがありました。売出し中の彼らが手がけた初期の素晴らしい作品が眠るTABUレコードの再発もされています。
 そんな感じで盛り上がってきているので、彼らの年代順のプロデュース作品を紹介していきたいと思います。以前公開していたジャム&ルイスのHPではProduce ListをUPして好評を得ていましたが、また整理したく年代順にアルバムを紹介したいと思います。
 
 今回は、ジャム&ルイスが大ブレイクする事となった1986年の作品群です。86年は、ジャム&ルイスにとってターニングポイントとなった年だと思います。なんといってもグラミー賞で最優秀プロデューサーの栄冠を手にする事となるのですから。
 彼らは、元はミネアポリスのローカルなバンドFlyte Tyme(フライト・タイム)で活動していたところ、プリンスの目にとまりThe Timeのメンバーとしてメジャーデビューする事となります。タイムの活動をベースに置きつつも、実際タイムでの給料は安く(プリンスに抑えられていた模様)、収入を得る目的と技能も磨くため外部プロデュース業も始めるわけです。
 実際、彼らのクレジットが確認できるのは1982年から。TABUでのThe SOSバンドの「High Hopes」がJimmy Jam & Terry Lewisとして最初に手がけた作品だと思います。その後もSOSバンドとの結びつきは続き、プロデュース稼業を始めたのも彼らとでしたが、所属するタイムをやめる事になった理由を作ったのもSOSバンドでした。


 何度も取り上げる話ですが、1983年『パープルレイン』の大ブレイク前のプリンスは『1999』という素晴らしいアルバムを発表と同時にツアーに出ます。その前座を務めたのがThe Timeでした。タイムとプリンスは全米を熱狂させます。その1999ツアーの合間をぬって、ジャム&ルイスはアトランタに飛び、SOSバンドの4th『On The Rise』を制作中だったわけですが、次のライブ地に向かうための飛行機が天候不良で飛ばず、ライブに穴をあけてしまうのです。プリンスは、タイムの正式メンバーでなかったジェローム・ベントン等を代役にたてなんとかしのいだみたいです。
 当初、プリンスは、彼らがこれなかったのは女性絡みだと思っていたそようで、それならそれで許すつもりだったようですが(女絡みなら許すんかい!)、実は外部アーティストのプロデュースをしていたという事を知り、彼らをタイムから脱退させるのです。大切なライブに穴をあけた事もですが、
ミネアポリスサウンドのオンリーワンである自分のサウンドが、ジャム&ルイスらによって外部に流出する事も嫌っていたようで、ついに堪忍袋の緒が切れたという事らしいです。
 こうして退路を断たれたジミーとテリーは、プロデュース稼業を本格的に始めるわけです。前述の、SOSバンドとのアルバムからはシングル「Just To Be Good To Me」(1983)がR&B2位に輝きます。その後も、シェリル・リンの「アンコール」(1984)がR&Bで1位も獲得。クラレンス・エイヴォント率いるTABUレコードでのAlexander O'neal、シェレールなどR&Bでヒット曲を産みだしていきます。


 彼ら自身がミュージシャンです。ジミーは、キーボード。テリーはベース。そして、ドラムマシーンや、キーボードを駆使してほぼ2人でベースのSOUND Trackを作っていきます。これはテクノロジーの進化による時代の恩恵だと思います。
 一昔前のプロデューサーと言えば、クインシー・ジョーンズに代表されるように、素晴らしいライターから曲を集め、リズムアレンジを練り、一流ミュージシャンを総動員して楽曲を制作していくスタイルでした。しかし、ジャム&ルイスは、機器を利用してほぼ2人でトラックを作っていった。必要なら、生楽器やストリングスもミックスさせた。それも彼ら自身がミュージシャンだからできる事だった。
 そして彼らは素晴らしいライターでもあった。自分たちの書いたが曲に斬新なトラックを融合させていく。プロデューサーによっては、自分の色に染めてしまうプロデューサーもいたけど、ジミーたちはアーティストのパーソナリティーを引き出すプロデューススタイルでもあった。
 そしてこれらの楽曲のクオリティーがグラミーの会員(NARAS → 全米録音芸術科学アカデミー)にも認められ、グラミーの最優秀プロデューサーも獲得するのです。この1986年度のジャム&ルイスの受賞は、とても画期的で意義あるものでした。
 それを理解するために彼らの受賞の10年前と10年後の最優秀プロデューサーの受賞者を、代表作とともに振り返ってみます。(対象年度で表示しています)

1976  Stevie Wonder 名盤『キー・オブ・ライフ』
1977  Peter Asher  ジェームス・テイラー、 リンダ・ロンシュタット
1978  Bee Gees,Albhy Galuten and Karl Richardson 『Saturday Night Fever』
1979  Larry Bulter   カントリーProducer ケニー・ロジャース
1980  Phil Ramone  ビリー・ジョエル
1981  Quicy Jones 『The Dude 愛のコリーダ  クインシー・ジョーンズ』
1982  TOTO 『TOTO Ⅳ 聖なる剣』
1983  Michael Jackson and Quincy Jones 『Thriller』
1984  James Anthony Carmichael and Lionel Richie  『Can't Slow Down』
         David Foster  『Hard Habit To Break シカゴ』
1985  Phil Collins and Hugh Padgham 『No Jacket Required』
1986  Jimmy Jam & Terry Lewis   『Control ジャネット』「Human」,SOS Band
1987  Narada Michael Walden  『WhitneyⅡ』スターシップ、アレサ・フランクリン
1988  Neil Dorfsman『Nothing Like The Sun スティング』Buruse Hornsby
1989  Peter Asher『Cry LIke A Rainstorm How LIke The Wind』L・Ronstadt
1990  Quicy Jones 『Back On The Block クインシー・ジョーンズ』
1991  David Foster 『Unforgettable  ナタリー・コール』
1992  Brian Eno and Daniel Lanois   『Achtung Baby U2』
          LA Reid & Babyface  『ブーメラン』BoysⅡMen、TLC、Bobby、Jermaine 
1993  David Foster 『The Bodyguard ホイットニー・ヒューストン他』
1994  Don Was 『Longing In THe Hearts  ボニー・レイット』
1995  Babyface 『Waiting to Exhale』BoysⅡMen、Whitney、TLC、マドンナ
1996  Babyface   『The Day』エリック・クラプトン、トニー・リッチ、T・Braxton

 こうして振り返ると、まずいわゆる機器を駆使したR&Bプロデューサーとしての受賞は彼らが初めてではないでしょうか。1976年に、スティーヴィー・ワンダーの天才性を世に知らしめた2枚組の傑作『キー・オブ・ライフ』で、スティーヴィーは、シンガー、ライター、プロデューサーとして受賞します。スティーヴィーもテクノロジーも使いこなす才人。

キー・オブ・ライフ(SHM-CD)

キー・オブ・ライフ(SHM-CD)

  • アーティスト: スティーヴィー・ワンダー
  • 出版社/メーカー: Universal Music
  • 発売日: 2012/09/19
  • メディア: CD

 そして、クインシー・ジョーンズが自身の名義のアルバムで1981年に受賞。クインシーは、自分ではボーカルはとれないので、発掘したジェームス・イングラムや、パティー・オースティンらすばらしいボーカリストと、チーム・クインシーと言われる一流ミュージシャンを総動員して制作したアルバム。この年5部門で受賞。

愛のコリーダ(SHM-CD)

愛のコリーダ(SHM-CD)

  • アーティスト: クインシー・ジョーンズ
  • 出版社/メーカー: Universal Music
  • 発売日: 2016/11/23
  • メディア: CD

  そして1983年度、マイケルも『スリラー』で最優秀プロデューサーをクインシーとともに受賞。『スリラー』を大局的に見ると、前年受賞のTOTO勢も大いに貢献しているアルバムで、凄腕スタジオミュージシャンと、クインシー・ジョーンズのProdeceスタイルにマイケルのエッセンスが加わった傑作とも言える。プロデューサー、マイケルとして受賞している意味は大きい。

スリラー

スリラー

  • アーティスト: マイケル・ジャクソン
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2018/03/21
  • メディア: CD

 そして1986年度に、ジミー・ジャム&テリー・ルイスがノミネートだけではなく、最優秀プロデューサーの栄冠を手にすることとなるのです。彼らの師匠的なプリンスも、1984年度に『パープルレイン』が評価されてノミネートされていますが、受賞はできず。その後、『Batman』のサントラ制作時にもノミネートされますが受賞はできず。プリンスこそ、最優秀プロデューサーの栄光を求めていたアーティストだったと思います。
 1987年度のナラダ・マイケル・ウォルデンも黒人Producerで元はドラマーだけど、リズムマシーンやシンセを多用してすごくキャッチーなPOPなSOUNDを生み出した。

Nothing's gonna stop us now (1987) / Vinyl single [Vinyl-Single 7'']

Nothing's gonna stop us now (1987) / Vinyl single [Vinyl-Single 7'']

  • アーティスト: Starship
  • 出版社/メーカー: Grunt
  • 発売日: 2021/04/04
  • メディア: LP Record
 
 ナラダの代表作と言えば、ホイットニー・ヒューストンとの作品。ホイットニーの2ndでは「すてきなSomebody」「So Emotional」「Broken Hearts Go」の3曲がNo1シングルに。あと、ジョージ・マイケルとアレサ・フランクリンの「I Knew You Were Waiting (For Me)」、白人ロックバンドのスターシップの「愛が止まらない」とNo1シングルを連発。ただこの売れ線のProduceが、グラミーで評価されたのは意外でした。
 この後、ジャム&ルイスのスタイルを踏襲して頭角を現したLAリード&ベビーフェイスが、1988年、1989年で逃していた最優秀プロデューサーを1992年度についに受賞。

ブーメラン(サントラ)

ブーメラン(サントラ)

  • 出版社/メーカー: BMGビクター
  • 発売日: 1997/04/23
  • メディア: CD
  
 LAFACEレコードから次々と才能あるアーティストがデビューした。サントラ『ブーメラン』からは、ボーイズ・トゥ・メンのメロウなSlow「End Of The Road」がメガヒット。後にディーヴァの称号も得るトニー・ブラクストンもこのサントラでデビュー。同時にレーベル外でのBobby Brownやジャーメイン・ジャクソンのアルバムではエッジの効いたSOUNDも作り上げた。TLCではヒップホップなTasteも加えた。
彼らもジャム&ルイスのように機器を駆使してProduceするスタイルにBabyfaceの絶品メロディーが加わった。
 LAFACEが受賞したこの年、R&BでNew Jack Swingという斬新なHip Hop Taste溢れるGrooveを生み出し続けていたTeddy Rileyもついにノミネートされます。このノミネートも意義深い。『Bobby』やマイケルとの「Jam」、Hip HopのWrecks-N-Effect(レックスン・エフェクト)
等が評価されたと思われますが受賞はできず。
 単独となったBabyfaceは1995年、1996年、1997年と3年連続最優秀プロデューサーを受賞するというミラクルも起こします。

 こうして最優秀プロデューサーの流れを振り返ると、1986年度のジャム&ルイスの受賞が際立つと思います。彼らの受賞は、その後の、ブラック系のミュージシャンやアーティストに希望も与えたのではないかと思います。

 次にジャム&ルイスが最優秀プロデューサーを受賞した対象作品群を見てみたいと思います。(グラミーの開始年度は10月の模様)ジャム&ルイスの受賞に最大の貢献をしたのは、ジャネット・ジャクソンをアーティストへと導いた『Control』だと思いますが、この1作だけでは受賞は難しかったかもしれません。
 グラミーの受賞に、ヒットは二の次で創造性が重視されると言われていますが、チャートインしなければ素晴らしい楽曲も注目されないわけで。さらに、カテゴリーを超えた部分も求められていると思います。ジャム&ルイスは、R&Bチャートでの実績はありましたが、POPチャートではまだビックヒットをうんでいなかった。そういった意味でも初めてHot-100でNo1を獲得した彼らの1986年度の作品群は素晴らしいです。

 まずはじめてPOPチャートでも注目される事となった曲がフォースMD'Sの「Tender Love」でした。Black Movieの『Krush Groove』に収録されます。
 
Krush Groove - OST by Various Artists

Krush Groove - OST by Various Artists

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: CD

 
この『クラッシュ・グルーブ』は、同時はまだアングラ的なHip Hopカルチャーの最重要人物の一人、ラッセル・シモンズを題材にした作品でした。Blackムービーのサントラに収録されたこのSweetなLoveバラードは、シングルカットされ、1986年3月、Hot-100で10位まで上がります。ジャム&ルイスにとって初めてのTOP10ヒットとなるのです。このSweetで優しさに満ち溢れたバラードは、今でも色あせない名曲です。
 そして同月、ジャネット・ジャクソンの『Control』が登場します。これまでの記事で長々と掘り下げたので詳細は省きます。

Control

Control

  • アーティスト: Jackson, Janet
  • 出版社/メーカー: A&M
  • 発売日: 1990/10/25
  • メディア: CD

 この時、このアルバムのここまでの成功を予期した人がどれだけいたかはわかりませんが、この成功で、ジャネットはジャクソンからの呪縛から解放され、ジャム&ルイスもPrinceの呪縛を解かれた気がします。
アルバムからは6曲のシングルヒットをうみ「When I Think Of You」はHOT-100でも念願の1位も獲得します。アルバムもR&BとPOPで1位に輝きます。年間アルバムチャートも6位です。
 このアルバムで展開される、リンドラムや、ドラムマシーン・TR-808によるドラムプログラミング、サンプリングキーボード、ミラージュを駆使した効果音、様々なリズムアレンジ、シンセアレンジは他者の追随を許さないスタイルです。
 続けて5月にはTABUレコードで、The SOS BANDの『SANDS OF TIME』を発表。

Sands of Time

Sands of Time

  • アーティスト: Sos Band
  • 出版社/メーカー: Sony
  • 発売日: 1990/10/25
  • メディア: CD

 自分たちの運命を切り開いたSOSバンドとジャム&ルイスの最後の作品となります。これまでの集大成のようなトータル感あるすばらしい愛をテーマにした大人のアルバムです。アルバムは、R&Bで4位、POPで44位です。ゴールドディスクにも輝きます。
 基本『コントロール』と使用機材は同じと思われますが、アルバムのカラーは全く違います。ジャネットのアルバムは、Jam&Lewisに加えてジャネットのエッセンスも加わっていますが、SOSバンドのこのアルバムは純粋にジャム&ルイスのカラーを感じる事ができる。アルバム曲の8曲の内、6曲を彼ら2人のみで書いている。ジャム&ルイスはライターとしても最高なのです。
 代表曲は、R&B2位にもなる「The Finest」で、都会的で洗練された心地いい縦揺れDance Track。バックボーカルにレーベルメイトのアレキサンダー・オニールが参加、その素晴らしすぎるボーカルは一気にEmotionalな味付けをします。メアリー・デイヴィスのCool & Soul なボーカルとJam&Lewisのサウンドの相性も抜群で、夏の夜をCOOL ダウンさせてくれるようなすばらしいアルバムです。このアルバムも。かつては廃盤でネット上では高額な値がついていましたが、TABU-Rebornによりボーナストラック付で再発されます!ボートラが楽しみです。
 10月には、英国のエレクトリックバンド、ヒューマン・リーグのアルバムをジャム&ルイスがプロデュースします。ヒューマンリーグとR&Bプロデューサーのジャム&ルイス。この異色とも思えるセッティングをしたのが、ジャクソンファミリーとも付き合いのあるA&Mレコードの役員でもあったジョン・マックレインでした。 

Crash

Crash

  • アーティスト: Human League
  • 出版社/メーカー: Virgin Int'l
  • 発売日: 2004/04/27
  • メディア: CD

 この作品から、機材も次世代の物に移行している感じで、録音もデジタル色が強まって音もよいです。
ヒューマン・リーグは、1982年に「Don't You Want Me」(愛の残り火)というNo1ソングもうみ独自のスタイルももっているグループ。彼らも音作りを完全に他人に委ねたのは今回が初めてだったと述べています。もともと出来上がっていた曲を、ジャム&ルイスは最初からやり直します。ジャム&ルイスは、自分たちで曲を書き、プロデュースするスタイル。あまり他人の楽曲をプロデュースする事は少ない。このアルバムは、彼らのフルプロデュースアルバムでありながら、7曲は他人の曲という、ジャムルイにとっても異例なアルバムです。
 ジミーたちは、ヒューマンリーグというグループを媒体にR&Bプロデューサーとして見られている自分たちの殻を打ち破った印象もうけます。そして、3曲を書き上げアルバムに加えます。そしてその3曲が素晴らしい仕上がり。その一つが「Human」で、この名バラードはHOT-100でも1位に輝きます。この「ヒューマン」のクオリティーもグラミー会員に評価された気がします。「Love Is All That Matters」もヒューマンチックでダンサンブルな曲で最高級の1曲。ミネアポリスファンクしてる「I Need Your Loving」もいい。後に発売されたEXTRA盤は、これらのEXTENDバージョンが収録されているので買いです。以上がジャム&ルイスの素晴らしすぎる1986年のWORKSです。
 
 ではこの年、最優秀プロデューサーを競い合ったプロデューサー陣です。

 《 1986年・最優秀Producerノミネート 》

 David Foster
 マイケル・オマーティアン
 ポール・サイモン
 ラス・タイトルマン&スティーヴ・ウィンウッド 
 ジミー・ジャム&テリー・ルイス  Win!

 ここでも唯一のR&Bプロデューサー。この年の他の候補者の作品を知り尽くしているわけではないですが、最高峰のTop Producerが集う。
 ポール・サイモンはこの年、『グレイス・ランド』で最優秀アルバムを受賞。

グレイスランド25周年記念盤

グレイスランド25周年記念盤

  • アーティスト: ポール・サイモン
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2012/07/04
  • メディア: CD
 
 ジャム&ルイスと最後まで争ったのはポール・サイモンではないかと思っています。
 この年の最優秀レコードを受賞した「Higher Love」(大好き!)を収録した『BACK IN THE HIGH LIFE AGAIN』(タイトル曲は翌年のグラミーの最優秀レコードでもノミネート)Produceのスティーヴ・ウィンウィッドとラス・タイトルマン。

バック・イン・ザ・ハイ・ライフ

バック・イン・ザ・ハイ・ライフ

  • アーティスト: スティーヴ・ウィンウッド
  • 出版社/メーカー: USMジャパン
  • 発売日: 2011/11/09
  • メディア: CD

「Groly Of Love」「The Next Time I Fall」の2曲のNo1シングルも生んだピーター・セテラの『Solitudes Solitaire』や、ジャーメイン・ジャクソン『Precious Moments』も手がけたこれまた常連のマイケル・オマーティアン。

ソリテュード~ソリティア

ソリテュード~ソリティア

  • アーティスト: ピーター・セテラ
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2016/09/21
  • メディア: CD

 1984年に最優秀Producerを受賞(82年、85年ノミネート)し、常連と化しているデヴィッド・フォスターも初のソロ作を出し、この年もノミネート。

DAVID FOSTER

DAVID FOSTER

  • 出版社/メーカー: ダブリューイーエー・ジャパン
  • 発売日: 1986/10/25
  • メディア: CD

 そんな中、受賞したのがミネアポリスの黒人プロデューサーのジミー・ジャム&テリー・ルイスだったのです。よく受賞できたなと思う反面、この年のジャム&ルイスの作品群をみれば当然とも思えます。まさしく彼らのようなスタイルのProducerが受賞した事は、時代の流れを象徴しているようにも思います。
 
 彼らの受賞コメントです。

 テリーは照れ屋のようで、スピーチはジミーが行います。母親への感謝の言葉を述べた後、一緒に仕事をしたアーティストたちの名前を呼び上げます。フォースMD'S、パティ―・オースティン、シェレール、アレキサンダー・オニール、SOSバンド、ヒューマンリーグ、ジャネット・ジャクソン。シェリル・リンの名前がないなと思いつつ、それ言うならタイムの同僚やプリンスの名前もないな。すべての人に感謝の言葉を述べるには時間がなさすぎるのでしょうね。ジャネットとジャム&ルイスを結びつけたジョン・マックレインの名前も読み上げます。
 最後に、我々にとって特別な恩人としてクラレンス・エイヴォントの名前が出ます。ジャム&ルイスの才能を見抜き、自身のレーベルで起用し続けた。TABUレコードの創始者です。タブーレコードでの仕事が、その後のブレイクにつながったのは間違いない。
 最後に、テリーもコメントをします。家族への愛を述べた後、「最も大切な友人、ジミーに感謝します」といって抱き合った姿は感動的でした。
 
 Jam&Lewisはこの後、グラミーのProducer部門のノミネートの常連となります。
 1989/1993/1994/1995/2000/2001/2002/2003/2004/2005の計11回。でノミネートとしては、クインシーとフォスターの7回も超え11回で最多回数のノミネート。ですが、受賞は1986年のみです。この後、ジャム&ルイスを目標にして頭角をあらわしていくBABYFACE(LA&BABYFACE時代も含む)は4回も受賞(最多記録)している。ジャム&ルイス派のおれとしては悔しいところ。

 しかし、彼らはまだ現役。ジャム&ルイスの名義の作品も控えてるし、ジャネットとの新作も彼らが手がけているという話もあります。今後も彼らの動きは見逃せません。楽しみです。

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