◆ FAKE / Alexander O'neal アレキサンダー・オニールとジャム&ルイス( Part2 ) プリンスを拒み、最後まで自身の信念を貫いた男の思い [Alexander O'neal]
ジャム&ルイス Produce No1シングル曲の紹介シリーズとアレックスとジャム&ルイスを語る(Part2)が融合。今回は1987年7月25日、R&Bチャートで1位を獲得したアレキサンダー・オニールの「Fake」です。ジャム&ルイスとアレキサンダー・オニールは盟友です。そして、アレキサンダーとプリンスの間にも物語があります。この時、アレックスは34歳、けっして若い年齢ではありません。しかし、信念の男、アレックスはついに成功を手にします。ここまでだどりつくには長い道のりでした。
Alexander O'nealカテゴリー「アレキサンダー・オニールとジャム&ルイス Part1」で紹介したように、アレキサンダー・オニールとジャム&ルイスは、もともとミネアポリスのローカルバンド“フライト・タイム”の仲間でした。アレキサンダー・オニール(アレックス)は、ミネアポリスでは有名なソウルシンガーでした。
もともとミネアポリス自体、圧倒的に白人が多い。北欧の移民が多い街で、NFLのアメフトチーム、ミネソタ・バイキングスの由来もそこなのね。そういうわけで、ソウルコミュニティは、ある意味せまいといえばせまい。その中でも彼のバラードは白人層を含め多くのミネアポリスの人々を魅了していた。
そして、ミネアポリスといえばプリンスです。まだ『パープルレイン』のブレイク前夜ですが、3rd『Dirty Mind』を発表し、着実にその存在感を増していっていた。
当時、アレックスはフライトタイムのリードボーカリストでした。プリンスはフライト・タイムというよりアレックスのボーカルを欲していた。そしてアレックスを勧誘するわけですが、アレックスは自分だけが引き抜かれるという事にも難色をしめし、さらに歌うのはいいけど、それなりの報酬はもらうという主張もしていきます。Alexander O'nealカテゴリー「アレキサンダー・オニールとジャム&ルイス Part1」で紹介したように、アレキサンダー・オニールとジャム&ルイスは、もともとミネアポリスのローカルバンド“フライト・タイム”の仲間でした。アレキサンダー・オニール(アレックス)は、ミネアポリスでは有名なソウルシンガーでした。
もともとミネアポリス自体、圧倒的に白人が多い。北欧の移民が多い街で、NFLのアメフトチーム、ミネソタ・バイキングスの由来もそこなのね。そういうわけで、ソウルコミュニティは、ある意味せまいといえばせまい。その中でも彼のバラードは白人層を含め多くのミネアポリスの人々を魅了していた。
そして、ミネアポリスといえばプリンスです。まだ『パープルレイン』のブレイク前夜ですが、3rd『Dirty Mind』を発表し、着実にその存在感を増していっていた。
そして、プリンスとアレキサンダー・オニールは、必然的に出会うことになります。アレックスも、いろいろなバンドのボーカルを渡り歩き、ジャム&ルイスたちがいたフライトタイムのボーカリストになっている時に、自身のソウルな作品のプロジェクトのボーカリストを探していたプリンスに声をかけられます。プリンスもアレックスのボーカルに魅了された一人だったのです。
こうして、プリンスはアレックスだけではなく、フライトタイムのメンバーとも接触しはじめます。実際に、フライトタイムの演奏を目の当たりにし、バンドの力量(ジャム&ルイスがいるわけですから)も評価をし、彼らを含めた契約に方向を変えていきます。
アレックスを含めたフライトタイムとプリンスがメジャーデビューに向けて契約するという段階になったとき、アレックスはギャランティーの事、自分たちのアイデアやコンセプトも取り入れてもらう事をあらためて主張します。他のメンバーは、レコード契約しメジャーデビューしたいという思いを強めていて、アレックスはメンバーの中でも次第に浮き始めます。自分の主張をとりいれないプリンスサイドとの対立は決定的になり、ついに彼はフライトタイムを脱退します。
その後、フライトタイムはプリンス主導の下、旧友、モーリス・デイをボーカルにし、ギターリストのジェシー・ジョンソンも加えThe Timeとして1981年にデビュー。
モーリス・デイはボーカリストとしての力量はアレックスにはかなり劣りますが、俳優業もこなすエンターテイメント性は抜群。ザ・タイムのバンドのコンセプトはCoolなかっこよさ。そしてCoolなデビュー曲「Get It Up」はR&B6位になります。アルバムもR&B-7位、POP-50位で、GOLD DISK(50万枚セールス)にもなります。
1982年の2nd『What Time Is It?』からの斬新すぎるリズムアレンジの「777-9311」はR&B2位とヒットをとばします。アルバムも1st以上の売れ行きをみせます。R&B-2位。POP-26位。このアルバムもGOLDを獲得します。こうしてザ・タイムはミネアポリスのローカルバンドから、全米アーティストへ駆け上がっていきます。その勢いとセールスはプリンスを上回る時期もあった。
もし、アレックスが、いろいろ要求をせずにタイムのリードボーカリストについていたらどうだったのだろう?と想像することはあります。ただこうしてタイムの作品をきくと、アレックスの正統派のソウルボーカルより、モーリスの声質の方があう感じ。アレックスが去ったことにより、プリンスの考えていたバンドのコンセプトもソウル路線から変わったのかもしれない。どちらにしろアレックスがリードボーカルだったら、彼のボーカルが素晴らしいので、バンドとしてのサウンドは二の次になる印象を受ける。このタイムの曲をアレックスが歌うのがイメージできない。モーリスがボーカルをとることにより、バンドとしてのバランスがすごくとれたように思う。
アレックスがそのままタイムにいても、プリンスのトラックを見事に歌いこなしたと思いますが、結局は、バンドのボーカリストではなくソロシンガーとしての欲求を強め、遅かれ早かれタイムから離れたようにも思います。
タイムのメンバーとして、ジャム&ルイスはメジャーデビューとヒットという最初の成功を手にしましたが、バンドを去ることになったアレックスの事はずっと心にあったといいます。そのアレックスは、タイムのヒットを横目にメジャーデビューへのチャンスをまち歌い続けるのです。
憧れのアーティストとしてアレックスが最初にあげるのは、オーティス・レディング。
しかし、リスペクトするシンガーだとしても、誰かの二番煎じにはなりたくないとアレックスは心に誓っていたという。そして、ソウルシンガーである事にもこだわり続けていきたいとも。そういう思いをもちアレックスはメジャーデビューのチャンスを模索していた。
そんな中、1983年、ジミーとテリーが例のSOSバンド独断プロデュース事件を起こすのです。ジャム&ルイスはTimeの活動と平行して、外部プロデュース活動(クライマックス、グラディス・ナイト、シェリル・リン等)もしておりR&Bチャートでスマッシュヒットをだし、着実に評価を得ていました。ミネアポリスのボス、プリンスとしては、そうした彼らの活動でミネアポリスサウンドが流出するのを快くは思っていなかった。そんな中、SOSバンドを手がけている時に、Timeのライブに(天候不良のため)行く事が出来ず、ついにプリンスの堪忍袋の緒も切れタイムから脱退させられることになるのです。
その状況でジャム&ルイスが制作したSOSバンドの作品もヒットし、SOSバンドの所属するTabuレーベルの社長・クラレンス・エイヴォントの信頼を得ます。そんな彼らがクラレンスに働きかけ、自信をもって推薦したアレクサンダー・オニールをレーベルに引き込むのです。
モーリス・デイはボーカリストとしての力量はアレックスにはかなり劣りますが、俳優業もこなすエンターテイメント性は抜群。ザ・タイムのバンドのコンセプトはCoolなかっこよさ。そしてCoolなデビュー曲「Get It Up」はR&B6位になります。アルバムもR&B-7位、POP-50位で、GOLD DISK(50万枚セールス)にもなります。
1982年の2nd『What Time Is It?』からの斬新すぎるリズムアレンジの「777-9311」はR&B2位とヒットをとばします。アルバムも1st以上の売れ行きをみせます。R&B-2位。POP-26位。このアルバムもGOLDを獲得します。こうしてザ・タイムはミネアポリスのローカルバンドから、全米アーティストへ駆け上がっていきます。その勢いとセールスはプリンスを上回る時期もあった。
もし、アレックスが、いろいろ要求をせずにタイムのリードボーカリストについていたらどうだったのだろう?と想像することはあります。ただこうしてタイムの作品をきくと、アレックスの正統派のソウルボーカルより、モーリスの声質の方があう感じ。アレックスが去ったことにより、プリンスの考えていたバンドのコンセプトもソウル路線から変わったのかもしれない。どちらにしろアレックスがリードボーカルだったら、彼のボーカルが素晴らしいので、バンドとしてのサウンドは二の次になる印象を受ける。このタイムの曲をアレックスが歌うのがイメージできない。モーリスがボーカルをとることにより、バンドとしてのバランスがすごくとれたように思う。
アレックスがそのままタイムにいても、プリンスのトラックを見事に歌いこなしたと思いますが、結局は、バンドのボーカリストではなくソロシンガーとしての欲求を強め、遅かれ早かれタイムから離れたようにも思います。
タイムのメンバーとして、ジャム&ルイスはメジャーデビューとヒットという最初の成功を手にしましたが、バンドを去ることになったアレックスの事はずっと心にあったといいます。そのアレックスは、タイムのヒットを横目にメジャーデビューへのチャンスをまち歌い続けるのです。
憧れのアーティストとしてアレックスが最初にあげるのは、オーティス・レディング。
しかし、リスペクトするシンガーだとしても、誰かの二番煎じにはなりたくないとアレックスは心に誓っていたという。そして、ソウルシンガーである事にもこだわり続けていきたいとも。そういう思いをもちアレックスはメジャーデビューのチャンスを模索していた。
そんな中、1983年、ジミーとテリーが例のSOSバンド独断プロデュース事件を起こすのです。ジャム&ルイスはTimeの活動と平行して、外部プロデュース活動(クライマックス、グラディス・ナイト、シェリル・リン等)もしておりR&Bチャートでスマッシュヒットをだし、着実に評価を得ていました。ミネアポリスのボス、プリンスとしては、そうした彼らの活動でミネアポリスサウンドが流出するのを快くは思っていなかった。そんな中、SOSバンドを手がけている時に、Timeのライブに(天候不良のため)行く事が出来ず、ついにプリンスの堪忍袋の緒も切れタイムから脱退させられることになるのです。
その状況でジャム&ルイスが制作したSOSバンドの作品もヒットし、SOSバンドの所属するTabuレーベルの社長・クラレンス・エイヴォントの信頼を得ます。そんな彼らがクラレンスに働きかけ、自信をもって推薦したアレクサンダー・オニールをレーベルに引き込むのです。
1985年、アレックス32歳の時、ついにTABU RECORDからメジャーデビューする事となります。アレキサンダー・オニールとの1stは1985年に発表されます。ここからはシングルヒットとしては、フライトタイムのメンバーが集結したミネアポリスシンセファンク「イノセント」がR&Bで11位。アレクの代表バラードのひとつ「If You Were Here Tonight」がR&B-17位というヒットとなります。
自身のソロ作からはR&BチャートTop10に入るまでのヒットは出ませんでしたが、アレクサンダーの歌声はミネアポリスから全米へと拡がっていった。
この後、アレックスはそのボーカルを求められTABUレコードの作品に招かれます。まずレーベルメイト、シェレールのアルバムに参加。彼女とのDuo「Saturday Love」(『High Priority』収録)がR&B-2位(1986年3月)となるヒットとなります。アレックスとしても最初のビックヒット曲となります。二人の歌声とその絡みは素晴らしい。トラックがシンプルなのでボーカルが映える。プロデュースはもちろんジャム&ルイスです。
★二人の相性は抜群!★
そしてジャム&ルイスです。1986年、ジャネットとの『コントロール』で彼らも大ブレイク。グラミーで最優秀プロデューサーを受賞し、『コントロール』で得た収益でFlyte Tymeのスタジオも充実させていきます。最優秀プロデューサーを受賞したジャム&ルイスに多くのビックアーティストから声がかかったみたいです。そちらの契約の方がビックマネーが入ってくると思うのですが、彼らが優先したのはアレックスとの友情でした。
新しい機材も揃えスタジオも充実し、万全の体制でアレックスの2nd『ヒアセイ』の製作を開始します。アルバムに先駆けて「Fake」が発表されます。スーツで熱唱するアレックスが熱いMV(モノクロ)も制作されます。
アップテンポのファンキーなこの曲は瞬く間にR&Bの首位を獲得することになります。
「Fake」はやはりドラムのグルーブが素晴らしい。これまで聞いたことがないようなドラムプログラミングです。このGrooveはプリンス『パープルレイン』収録の「Baby、I'm A Star」のグルーブを思い起こさせます。
しかし「Fake」のドラムプログラミングは、相当こっています。それは別バージョンのParty Mixを聞いてわかりました。正直、このParty Mixを聞かないと、普通に「タン、タン、タン、タン、タン、タン、タン」というシンプルなグルーブだけを感じると思うのですが、いくつものリズムパターンとドラムパターンが組み合わさってこのドラムグルーブができていることがわかります。
アレキサンダー・オニールは、ミネアポリスではバラードシンガーのイメージがあったようですが、このセカンドアルバムでの1stシングルはファンキーでグルーヴィーなこの曲でした。アレックスも、自分がバラードだけのシンガーでない事をみせつけます。
そして、FAKEはにせものという意味を持つけど、自分はフェイクではない本物であることも主張しているように思います。
彼の真骨頂のバラードがシングルとしてきられてないのがちょっと残念。当時のシーンの傾向からいって、レコード会社がジャネットのようなヒットをねらってダンス系シングルを切ってくるのは仕方ないかもしれませんが、バラードもシングルにしてほしかった。好みは「Sunshine」ですが、シングル向きは「Crying Overtime」ですかね。一番好きなのは「Party is Over」ですが。バラードのヒットがでていればもっとシーン全体で注目をあびたかもしれません。
アルバムもR&B-2位(POP-29位)でGold Diskを獲得。またアルバム『ヒアセイ』も紹介したいと思います。
で2008年5月にアレキサンダー・オニールのリアルなステージをビルボード大阪で見れたわけですが、ほんと感動しました。ほんとめっちゃさわったし、軽くハグもさせてもらったりしましたからね。目の前で歌ってくれたし。「おいおい、まじかよ、(憧れの)アレクが目の前で歌ってんですけど」って感じで、このFakeで会場を所狭しと動き回ってくれました。
汗もふきだし、MVのように額の汗をタオルでふいてる。自分は全力で熱唱するから汗が噴き出すんだって。(でも体重の増加もあるかもね)後半は前述のparty mixバージョン風でした。(その時の模様はまた後日Upします)アレックスのR&B首位獲得曲はこの曲だけですが、ジャム&ルイスと組んだ作品の相性は抜群。こないだの歌いっぷりを目の前にしたら、まだまだ現役。もう一度組んで大人のソウルアルバムを作ってほしい。
*ボートラ付の2枚組も再発されています(価格上がってるな・・・)
Alexander O'Neal (Bonus CD) (Bonus Tracks)
- アーティスト: O'Neal, Alexander
- 出版社/メーカー: Tabu Demon
- 発売日: 2013/04/16
- メディア: CD
自身のソロ作からはR&BチャートTop10に入るまでのヒットは出ませんでしたが、アレクサンダーの歌声はミネアポリスから全米へと拡がっていった。
この後、アレックスはそのボーカルを求められTABUレコードの作品に招かれます。まずレーベルメイト、シェレールのアルバムに参加。彼女とのDuo「Saturday Love」(『High Priority』収録)がR&B-2位(1986年3月)となるヒットとなります。アレックスとしても最初のビックヒット曲となります。二人の歌声とその絡みは素晴らしい。トラックがシンプルなのでボーカルが映える。プロデュースはもちろんジャム&ルイスです。
★二人の相性は抜群!★
そしてジャム&ルイスです。1986年、ジャネットとの『コントロール』で彼らも大ブレイク。グラミーで最優秀プロデューサーを受賞し、『コントロール』で得た収益でFlyte Tymeのスタジオも充実させていきます。最優秀プロデューサーを受賞したジャム&ルイスに多くのビックアーティストから声がかかったみたいです。そちらの契約の方がビックマネーが入ってくると思うのですが、彼らが優先したのはアレックスとの友情でした。
アップテンポのファンキーなこの曲は瞬く間にR&Bの首位を獲得することになります。
「Fake」はやはりドラムのグルーブが素晴らしい。これまで聞いたことがないようなドラムプログラミングです。このGrooveはプリンス『パープルレイン』収録の「Baby、I'm A Star」のグルーブを思い起こさせます。
しかし「Fake」のドラムプログラミングは、相当こっています。それは別バージョンのParty Mixを聞いてわかりました。正直、このParty Mixを聞かないと、普通に「タン、タン、タン、タン、タン、タン、タン」というシンプルなグルーブだけを感じると思うのですが、いくつものリズムパターンとドラムパターンが組み合わさってこのドラムグルーブができていることがわかります。
アレキサンダー・オニールは、ミネアポリスではバラードシンガーのイメージがあったようですが、このセカンドアルバムでの1stシングルはファンキーでグルーヴィーなこの曲でした。アレックスも、自分がバラードだけのシンガーでない事をみせつけます。
そして、FAKEはにせものという意味を持つけど、自分はフェイクではない本物であることも主張しているように思います。
アレックスも、本物の作品は時代をこえて生き続けていくと言う事も述べている、まさしくこのアルバム『ヒアセイ』もそんな名盤だと思う。
アルバム自体も、『コントロール』がジャネットの私小説作品のようなアルバムだったように、『ヒアセイ』はアレキサンダー・オニールという男の生き様をアルバムにしている。まるでアレキサンダー・オニールという人間のサウンドトラック。パーティー会場を舞台にアルバムは始まり、曲間に会話をいれたりその演出はかなりセンスがいい。
シングルカットされた「Fake」ですが、アルバムの中では、パーティーでの会話の中から、見栄を張って嘘をついている女性に対して野郎どもが「(おまえは)フェイクだ、フェイクだ、うそつきだ」を連呼する中、あのかっこいいドラムがFade In してくるという演出でこれまためちゃかっこいい。
「Fake」はExtended(5:20)やParty Mix(3:10)等がありExtendedは、下記の『ヒアセイ』のRemix盤に収録されておりおすすめ。
Party Mixは下段AMAZONのExpanded盤等に収録されている。いろいろバージョンがありますがExtendedとParty Mixはおさえておくべきサウンドですね。
この後、シェレールとのデュオ3rd「Never Knew Love Like This」もR&B-2位になります。アルバムからのシングルは計5枚きられます。2nd「Criticize」がR&B-4位。4th「The Lovers」がR&B-41位。5th「「What Can I Say)To Make You Love Me」がR&B-68位。アルバム自体も、『コントロール』がジャネットの私小説作品のようなアルバムだったように、『ヒアセイ』はアレキサンダー・オニールという男の生き様をアルバムにしている。まるでアレキサンダー・オニールという人間のサウンドトラック。パーティー会場を舞台にアルバムは始まり、曲間に会話をいれたりその演出はかなりセンスがいい。
シングルカットされた「Fake」ですが、アルバムの中では、パーティーでの会話の中から、見栄を張って嘘をついている女性に対して野郎どもが「(おまえは)フェイクだ、フェイクだ、うそつきだ」を連呼する中、あのかっこいいドラムがFade In してくるという演出でこれまためちゃかっこいい。
「Fake」はExtended(5:20)やParty Mix(3:10)等がありExtendedは、下記の『ヒアセイ』のRemix盤に収録されておりおすすめ。
Party Mixは下段AMAZONのExpanded盤等に収録されている。いろいろバージョンがありますがExtendedとParty Mixはおさえておくべきサウンドですね。
彼の真骨頂のバラードがシングルとしてきられてないのがちょっと残念。当時のシーンの傾向からいって、レコード会社がジャネットのようなヒットをねらってダンス系シングルを切ってくるのは仕方ないかもしれませんが、バラードもシングルにしてほしかった。好みは「Sunshine」ですが、シングル向きは「Crying Overtime」ですかね。一番好きなのは「Party is Over」ですが。バラードのヒットがでていればもっとシーン全体で注目をあびたかもしれません。
アルバムもR&B-2位(POP-29位)でGold Diskを獲得。またアルバム『ヒアセイ』も紹介したいと思います。
で2008年5月にアレキサンダー・オニールのリアルなステージをビルボード大阪で見れたわけですが、ほんと感動しました。ほんとめっちゃさわったし、軽くハグもさせてもらったりしましたからね。目の前で歌ってくれたし。「おいおい、まじかよ、(憧れの)アレクが目の前で歌ってんですけど」って感じで、このFakeで会場を所狭しと動き回ってくれました。
汗もふきだし、MVのように額の汗をタオルでふいてる。自分は全力で熱唱するから汗が噴き出すんだって。(でも体重の増加もあるかもね)後半は前述のparty mixバージョン風でした。(その時の模様はまた後日Upします)アレックスのR&B首位獲得曲はこの曲だけですが、ジャム&ルイスと組んだ作品の相性は抜群。こないだの歌いっぷりを目の前にしたら、まだまだ現役。もう一度組んで大人のソウルアルバムを作ってほしい。
*ボートラ付の2枚組も再発されています(価格上がってるな・・・)
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